昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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オカマ諸君、人生を語るなかれ

従来は日陰の存在だった、オカマの社会進出が目覚ましい。
丸山明宏(今の三輪明宏)やカルーセル麻紀あたりが先駆者。
無論、数多の有名人にもオカマ疑惑はあったが、全ては憶測の世界。
カミングアウトするのは稀だった。
今は違う。
おすぎとピー子、デラックス・松子、ミッツ・マングローブ等は、コメンテーターにまで成り上がり、有り難い御託宣を並べ立てている。
楽しんご等を見ていると、手っ取り早くゲーノー界で売れる為には、「オカマを売りにするに限る」感すらある。
モノマネ芸人のコロッケも、デビュー当初はオカマ風を装っていた。
ひっそりと闇に潜んだ個人の趣味の世界だった昔に比べれば、時代は変わったものだ。

同性愛者が自分の性癖を秘したのは、差別されるからだ。
何故差別されるかと言えば、それが少数派だからであり、キリスト教では同性愛は神の教えに反すると異端視され、絶対に認められないからだ。
日本では、石原慎太郎がオカマ反対派の最右翼で、
「テレビなんかにも同性愛者が平気で出るが、日本は野放図になり過ぎている」とか、
「同性愛者はどこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかの所為。マイノリティーで気の毒」とか、
「ゲイのパレードを見ていて本当に気の毒だと思った。どこかやっぱり足りない感じがする」と述べて、物議を醸している。
これに対して社民党福島瑞穂は、「石原知事が、同性愛の皆さんへの配慮に欠けた発言をするのは極めて問題だ。」と反論しているが、彼女も「同性愛の皆さん」と特別の呼び方をする事で同性愛者を特別視している点では、石原慎太郎と一緒である事には気づいていない。
原発言は極端だが、有森裕子の亭主が記者会見で「I was gay.」と発表した時に周囲がどよめいたように、まだまだ世間一般で同性愛が理解されてはいない。

僕自身は、個人の嗜好の世界に、世間の常識を持ち出してとやかく言うものではないと思っている。
例え同性愛でも、周囲の人に迷惑さえかけなければ、個人の責任範囲だろう。
ただ、単なるオカマ達が、何でも知っているかのように世相を切ったり、悩み事相談に応じる最近の風潮には違和感がある。
確かに「彼女達」がオカマバーで見せる、ゲイの芸やゲイの気配りは、多くの女性が忘れ去った男性への優しさがあるらしい。(経験者から聞いた話)
芸術家と称される多くの大家達にもゲイ疑惑がある事から、ゲイ特有の繊細な神経が世界的な作品を残した事も間違いないだろう。
しかしそれはあくまで密室だからこそ冴えわたる能力で、公の場でやられると顔が赤らむ。
だから、あっけらかんと「ワタシはオカマ」と名乗る連中を好きにはなれない。

価値観の多様化と共に、それまでは超マイナーだった、オタク文化のような存在も注目を浴びる。
オカマもまたその一つだろうが、一見人気者の様に見えても、それは物珍しさからの好奇の目に近い。
「密室での受け」を勘違いして、世の中の御意見番を気取っても、あるいはオカマにどんなに素晴らしい芸術的DNAがあっても、ゲイに徹する限り一代限りとなる。
決してメジャーにはならないし、またメジャーを目指すべきでもない。
同好の士だけで、衆を頼らず育んでいった方がよい。
オカマ諸君、努々、したり顔で人生を語るなかれ。