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佐野眞一の「あんぽん」と「別海から来た女」を読んで

東電OL殺人事件のルポルタージュで、犯人と目されたネパール人の冤罪を主張、今回結果的にその指摘が正しかった事が証明され、佐野眞一は時の人としてテレビ出演に大童だった。
僕はこの「東電OL殺人事件」は、佐野眞一の代表作の一つと思っている。

佐野眞一は、15年ほど前、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったダイエーの創業者、中内功に対して「カリスマ」を書き、その胡散臭い行動やいかがわしい付き合いからダイエーの快進撃が始まったことを白日の下に晒した。
「東電OL殺人事件」では、東電のエリート総合職社員だった渡邊泰子の心の奥底に潜む破滅的性向を精緻な取材で明らかにした。
前者は、時の権力者への痛烈な批判精神に満ち溢れ、後者は、余りにも破滅的な性格を興味本位に取り上げられがちな人物の深層心理や、まるで無罪なネパール人が犯人にされていく日本の警察、検察の欺瞞性を暴く名著であり力作だ。

今年に入って、その佐野眞一の作品が相次いで発表された。
時代の寵児孫正義を伝記的にあらわした「あんぽん」と、稀代の悪女で、結婚詐欺と殺人を繰り返したとされ裁判中の木嶋香苗を扱った「別海から来た女」だ。
二冊ともベストセラー街道を突っ走っている。
僕は、「カリスマ」と「東電OL殺人事件」を読んだ時の興奮が忘れられず、多分に新しいモノ好きのミーハー感覚と、今回もまた同様の高揚感を味わうことが出来るとの期待感から、発売と同時に両方とも購入した。
そして、その思いが無残に打ちひしがれたことに落胆している。

両作品共に、主人公が生まれ幼少を過ごした地域の環境描写から始まる。
故郷での生活や家庭環境が、如何に両主人公の性格形成に大きな影響を与えたかが、克明に語られる。
しかし、この主人公達以外の誰にとっても、故郷の原風景は良きにつけ悪しきにつけ忘れがたいものである。
大事業をなした人や、あるいはとてつもない犯罪に手を染めた人だけが、故郷や家庭環境から大きな影響を受けたわけではない。
傑物の幼少期や生誕地の故事来歴など、面白おかしく解説すれば、何とでも屁理屈が通るものだ。
むしろ問題は、こじつけの漫画的な部分ではなく、その人物が成し遂げた業績や犯罪へのまっとうな評価のはずだが、佐野眞一の近作はその部分の切っ先が明らかに鈍っている。

取分け、今をときめく孫正義を扱った「あんぽん」に至っては、途中で孫正義への評価が二分されているとの記述はあるものの、結論は、最終章での会談内容や、あとがきでの孫親子への謝意を読んでも、この本がちょうちん記事の羅列であることがわかってしまう。
そもそも孫正義を商魂たくましい経営者と見ている人は多いが、奇特な慈善家と信じている人は少ない。
それが端的に現れたのが、単に政権維持だけを目的に突如として太陽電池導入を主張した菅直人に対して、孫正義加藤登紀子ともども、「10年間、首相を続けて欲しい」とゴマをすったシーンだ。

福島原発処理に関してとった菅直人の施策の全てが、事態を悪化させたことはあっても、解決の糸口にすらならなかったことは、今や公式な検証結果でも明らかになっている。
唯一の業績といわれた「東電の全面撤退を防いだ」ことすら、菅直人による成果ではなかった。
そしてこんなことは、彼の政治家としての所作振る舞いを見れば、容易に想像できたことだ。
孫正義の甘言に乗って、菅直人が10年も首相を続けた事態を考えてみればよい。
福島県民は、菅直人無為無策、悪政によって、更に塗炭の厳しさ、苦しさを味わったに違いない。

孫正義にとっては、100億円の私財を寄付した太っ腹振りよりも、福島原発事故は自社のソーラー発電に乗り出すビジネスチャンスでしかなく、その水先案内人を菅直人と見立てている事が分かってしまった。

孫正義が、類稀なる実業家であり、大成功を収めた経営者であることは異論を待たない。
在日朝鮮人として差別されながら、不断の努力で世界的な富豪になったことが賞賛に値することに異論があるわけではない。
しかし、だからといって、ソーラー事業を成功させる為には、史上最低の菅直人でも首相に居座る方が良いとの孫正義の判断は、日本国家のことをまるで考えず、自社の都合だけを最優先したと思わざるを得ない。
この一点だけでも、政商と揶揄される孫正義の本性が彷彿とされてしまう。
10年前の佐野眞一なら、そんな孫正義の魂胆を舌鋒鋭く批判したはずなのに、残念ながら「あんぽん」は、頭脳明晰な苦労人、孫正義の立志伝物語と化している。

「別海から来た女」で書いた木嶋香苗についても、新刊の帯には作者の「この本は東電OL殺人事件を超えた」との自画自賛があったが、実際は、単に裁判中にふてぶてしい態度だった結婚詐欺師としての描写に終始してしまい、渡邊泰子の異常行動の深層心理を解き明かした東電OL殺人事件の作品には、比ぶるべくもない。
やはり作家にも旬の時期があり、佐野眞一はその盛りを過ぎ、惰性で作品をつづったとしか思えない。
そんな無力感に駆られている。