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松本清張と東野圭吾の私的比較論

僕は読書が好きだ。
とりわけ推理小説には、目がない。

恐らくは松本清張の作品は、ほとんどを読んだと思う。
もっとも、そのあらすじを全部覚えているわけではない。
松本清張の小説では、最も犯人らしい人間が実は事件には無関係、実は大穴中の大穴が真犯人だったケースが多い。
砂の器」なんてその典型だが、その昔、松本清張の小説を読んでいて、大方のあらすじだけでなく、予め真犯人も想定できたことがある。
「途中でネタがバレルなんて、清張も衰えたものだ」と思いながら、読み終えた本を本棚に置いたら、そこに全く同じ本があった。
既に読んでいたのなら、あらすじが分かるのは当たり前。
ことほど左様に、松本清朝は多作であり、二度読んでも面白い小説が多かった。

最近は東野圭吾がお気に入りだ。
何でも東野圭吾は、高校時代に松本清張を読み耽っていたらしい。(この部分は、当方とそっくり)
この人の作品にも、当たりはずれが少ない。

松本清張東野圭吾は、似ている気がする。
二人の作家人生とも、決して恵まれたスタートではない。
松本清張は、朝日新聞社員として働きながら、処女作「西郷札」を発表し、「ある小倉日記伝」で芥川賞を受賞し注目された。
一方も東野圭吾は、日本電装のサラリーマンの傍ら「放課後」で江戸川乱歩賞、「容疑者Xの献身」で直木賞を受賞している。

しかし私見だが、この二人には決定的な差がある。
東野圭吾には、ガリレオ、加賀恭一郎とかのシリーズものがある。
松本清張にも「昭和史発掘」や邪馬台国に関わる連続モノがあるが、僕が知る限り、同じ主人公が謎を解き明かすシリーズ物はない。

作家にとって、ネタを捻り出すことは拷問にも近いらしい。
彼の芥川龍之介も、ネタに行き詰って自殺したと聞く。
そんな作家業にとって、シリーズ物は救いの手だ。
謎解きのプロセスはその昔に描いたことがあるのだから、あとは仕掛けを考えればよい。
だからシリーズモノは、新鮮な驚きに欠ける。

あれだけ多数の作品を残しながら、似通ったストーリーがないのは、松本清張の才能の凄さの所為だろう。
東野圭吾も、アイディアの斬新さには魅かれる。
最後の最後までそのカラクリが分からなかった「容疑者Xの献身」は、間違いなく将来に残る傑作だろう。
しかし残念ながら僕の中では、先の理由で、東野圭吾は未だ松本清張の域には至っていない。

東野圭吾はまだまだ若い。
東野圭吾には、シリーズモノに依存することなく、次々と更に面白いネタを捻り出して、昭和の巨頭、松本清張を凌駕して欲しい。
僕は、その可能性が一番あるのは、東野圭吾だと確信し、期待している。