昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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詭弁の論理

もう30年以上前になるが、阿刀田高が書いた「革靴の詭弁」を読んだ事がある。
顧客に革靴を勧める靴屋の、口上の矛盾を書いたものだ。

顧客 「この革靴、ちょっと大きいな。」
靴屋 「お客さん、革靴って、履いているうちに段々締まってくるものです。」

顧客 「この革靴、少し小さいな。」
靴屋 「お客さん、革靴って、履いているうちに段々伸びてくるものです。」

顧客 「この革靴、ちょうどいいサイズだな。」
靴屋 「お客さん、革靴って、どんなに履き込んでも伸びも縮みもしないんです。」

勿論、こんなに都合のいい話はない。
冷静に聞けば騙される事はないはずだが、しかし「革靴」という概念を強調するだけで、こんなに勝手な理屈が出来上がる。

僕は営業の仕事が長かった。
そして顧客との折衝では、このような詭弁を使った商談をしてきた。
個人の名誉の為に言っておくと、相手を説得しようと一所懸命になるあまり、まるで無意識に詭弁を弄していたのであり、決して最初から騙そうとしたわけではない。
一番多用した典型的な営業トークが、「ここだけの話」なのだが、実は「ここだけの話」なんか絶対にありえない。
至る所で勿体ぶりながら、「ここだけの話ですが」と話しているのだから世話はない。

同様に「正直に言って」も、極めて信用できない。
遥か昔の総理大臣が、「私は、嘘は申しません」と見栄を切ったが、この手の人ほど嘘が多い。
僕の営業哲学は、「本当のことを言わない事はあるが、嘘は言わない」だが、本人の意気込みとは裏腹に、他人からは「面白い冗談」としか理解されなかった。

顧客の方も、似たり寄ったりだ。
「お宅の商品が一番高い」は、価格交渉の常套句だが、しかしそんなに高いものを、何故継続して購入しているのかの説明はない。
「僕はお宅の会社が好きだから」も胡散臭い。
購買担当者は、納入先を選定したり、購入価格を決める時には、その合理性を自分の組織に説明責任があるので、勝手な事はできない。
例え自分を訪ねてくる担当者を気に入っても、だからと言ってよそよりも高いモノを買うはずがない。
そうであれば、「他社よりも高いけど、君が気に入ったから、貴社の製品を購入する」などが本当であるはずがない。

実は、本当の事しか言わないのは、結構残酷だ。
器量の悪い女性に、「貴方はブスです」と言えば角が立つ。
だから年輪を重ねるに従い、話し方を工夫し、本当の事をオブラートに包む。
「僕は、嘘はつかない」は、政治家の守れない公約と一緒だ。
こんな処世術を使いながら生きてきたが、果たして人間としてどれほど成長したのだろうか。
思えば、極めて平凡で、まるで特徴のない悲しい人生だったような気がする。