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MET物語(その二)ヴォルピー立身出世の巻

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そうは言っても、METは世界最大で最も有名な歌劇場だ。
そこに、学歴は高校卒と言えるかすら怪しいオトコ、ジョセフ・ヴォルピーは、舞台係の見習い大工として採用され、最後は何と総支配人の地位まで上り詰める。
上品で貴族的臭いが紛々としているオペラの世界では、こんな事は空前にして絶後の出来事に違いない。
日本の豊臣秀吉田中角栄に似た、極めてユニークなキャリアの持ち主だ。
ネットで調べると、彼の自叙伝「史上最強のオペラ」が、日本語でも出版されている。
すぐに取り寄せると、上下二段組みで活字がびっしりと並ぶ、350ページ近い読み応え抜群の大作だったが、余りに面白いので一気呵成に読み終えた。

見習い大工だったヴォルピーが、管理職になり出世の階段を上がるにつれ、MET内では反発や妬みがあったようだ。
しかしMETは慢性的な資金難に加え、激しい労働争議も繰り返してきた。
如何にも貴族の集合体のMET経営陣と、自らを現場労働者と意識し始めたオーケストラ、コーラスとが鋭く対立した。
当時のカーター大統領が調停に乗り出しても解決できず、ストとロックアウトの応酬になった袋小路の状態の解決を、組合委員長を経験し、管理職になっていたヴォルピーが担当する。
彼は組合側の弁護士と信頼関係を築き、労使がギリギリで妥協できる案を考え、双方を納得させた。

その後もMETは様々な困難に襲われるが、それを解決できる能力を持った人間は、どう見ても現場を知り尽くすヴォルピーしか存在しない。
ヴォルピーもまた、自分の使命としてMET建て直しを決意する。
しかし旧体制側の理事会には、叩き上げ風情がMETのトップに立つのを快く思わない人間が多い。
オペラの素養がないオトコにMETのトップが務まるモノか?
彼等にとっては、どうやってヴォルピーをトップの地位につけずに、トップの仕事をやらせるかが最大の関心事だったようだ。
そこでヴォルピーに対して、中途半端で屈辱的な「総監督」辞令が発される。
しかし舞台係として世界中のトップ演出者と直接に打合せ、自分が作った舞台の袖で世界一のオペラ演奏を聴き続けてきたヴォルピーは、誰よりもオペラに詳しい人間の一人に成長していた。
これでは自分の権限範囲が分かり難いと激怒するヴォルピーに対して、ヴォルピーの理解者、ブルース・クロフォード理事会長は「もう少しの辛抱だ」と慰め、自重を促す。

しかし結局は、問題はヤマ積みのままで、その解決にはヴォルピーに依存せざるを得ない。
ヴォルピーは1990年、晴れて総支配人の地位に就き、ついにアメリカンドリームを実現する。
以来16年に亘って辣腕を振るい、METを世界最大の芸術劇場に育て上げた。
METオーケストラを世界レベルにまで育て上げた、芸術監督ジェームズ・レヴァインは、僕ですら知っているような有名な指揮者だが、性格は優柔不断で、人との争い事は全て避けて通る。
しかし彼の協力なしでは、METの公演は成り立たない。
ヴォルピーは、決してレヴァインとはトラブルが起きないように、用心深く敬意を払いながらの運営に気を配る。
この間、政治的にもリンカーンセンター再開発騒動に巻き込まれたりしながら、ひたすらMETを守る事に専念。

1994年には、当時人気絶頂だが周囲との協調性が全く欠落していたキャスリン・バトルをMETから追放する荒療治を実行し、世間を驚かせてもいる。
日本ではその25年前の、読売ジャイアンツの長嶋監督解任劇が有名だが、世界的レベルではバトル追放はその数十倍の衝撃があったはずだ。
この女性は、ニッカウヰスキーのCMソングで、日本でも超有名な歌手だったので、オペラとは無関係な日本人にも話題になった。

ルチアーノ・パバロッティは世界三大テノールの一人で、不世出のテノール歌手だが、太り過ぎも祟り、末期は声の衰えも顕著だった。
しかし天下のパバロッティなので、人気は抜群、彼が出演する演目では、彼見たさに多くの客が集まる。
ところが公演開始直前になっても、パバロッティの声が回復しない。
ついにヴォルピーは意を決して、大ブーイングを覚悟して顧客にパバロッティのドタキャンと代役を発表した。
二度に亘るドタキャンと、顧客への直接の謝罪を拒否された為に、METはパバロッティとも絶縁している。
ヴォルピーはその代役として、MET未出演のサルヴァトーレ・リチートラを抜擢したが、彼が歌い終わった後に過去にないほどの大喝采を浴びた事は、ヴォルピーのオペラへの造詣の深さと、歌手を見る目の確かさを表している。

しかし911テロ以降、MET観客が減少の一途をたどる。
アメリカ人も自宅に籠りがちになり、顧客の10%弱にまで増えていた日本人の足も遠のき始める。
ヴォルピーも、強い危機意識を持ちながら、有効な対応策が見つからない。
解決を後進に委ねて、入社42年後の2006年、総支配人をピーター・ゲルブに引き継ぐことになる。