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MET物語(その一)ヴォルピーとゲルブ

最近オペラを興味を持ち始めていて、中でもメトロポリタン歌劇場(通称MET)のライブビューイングがお気に入りだ。

最新版は映画館で見るし、少し古いモノはNHK衛星放送やWOWWOWで放送される。
いずれも幕間に、有名ディーバが主演者や助演者に直截インタビューするサービスが織り込まれている。
オペラの進行とは無関係なので無駄だと嫌う人もいるようだが、出演者がどのような思いで役を演じているのかが分かるので、僕は楽しみにしている。

もう一つ、現MET総裁、ピーター・ゲルブもインタビュアーとして、度々登場する。
こちらは、演出者や指揮者へのインタビューが多いが、視聴者に直接METの状況を説明もする。
ソニークラシカル社長からの転身で、顔立ちは端正。
いかにも、アメリカのエリートを髣髴とさせる。
このゲルブは、MET総裁に就任後、「年老いた芸術オペラの改革」を掲げ、行き詰っていたMET経営を、ライブビューイング導入で立て直した改革者と言われている。

この流れでは自然と、ゲルブの前任者は、旧態依然とした保守的人物で、傾きつつあるMETに有効な処方箋を施せなかった人物のイメージが定着してしまう。
そしてその、ゲルブの前任者こそ、ジョセフ・ヴォルピーその人なのだ。

勿論僕は、そんな人物などまるで知らなかった。
そんな僕は、まるで偶然に2006年5月にMETで開催された、「ジョセフ・ヴォルピー引退記念コンサート」を見た。
ニューヨーク市長でヴォルピーの友人、ルドルフ・ジュリア―ノが、MET始まって以来の叩き上げ総支配人を紹介する挨拶から始まるこのコンサートは、次に登場したソプラノ歌手、デボラ・ヴォイドの「Mr.Volpe」と呼び掛ける、主役ヴォルピーを冷やかしつつも讃える歌が続く。
その内容は、METでヴォルピーが如何に苦労したかを、面白おかしく紹介するモノで、観客の爆笑を誘う。
コメディアンのビル・アーヴィンが、ヴォルピーが舞台係として働いていた時の扮装で、彼の仕事ぶりを
大袈裟に物真似して会場を沸かす。
ここまで見ただけで僕は、ヴォルピーなる人物が如何にMET関係者に慕われていたかが分かった。

出演者の豪華さもさることながら、コンサートの内容も嗜好を凝らしている。
傑作なのは、新進気鋭演出家だったフランコ・ゼフェレッリ肝煎りのセットが上手く稼働しなかった時の事だ。
当時は見習いだったヴォルピーは、雲を模したパイプが多過ぎると判断し、独断でパイプの本数を減らしてしまった。
そこにイタリア訛りの鋭い声で「何をしているのか」と詰問されたヴォルピーは、「舞台から降りてくれ、どこかのイカれたデザイナーが舞台装置を作り過ぎたので、ちゃんと動くようにしているんだ」と一喝した由。
翌朝総支配人に呼ばれると、そこにゼフェレッリがいて、とお決まりのデキレースみたいな場面が紹介される。
しかしこのコンサートに、ゼフェレッリがビデオ出演し、「彼がイカれたデザイナーと言ったのなら、それは正しい」と笑っていた。
この一件以来、ヴォルピーとゼフェレッリは、仕事面でお互いを認め合う仲になっているが、これもまた二人ともに、芸術の追及姿勢が本物の証明だろう。

最後の一ツ前に登場したソプラノ歌手、ミレッラ・フレーニは、ヴォルピーとの思い出話を始めた。
「私は41年前に、イタリアからMET出演の為に初めてアメリカに来た。言葉を不自由で不安だったので、オペラの幸運のお守りと言われる曲がった釘をMETで探していたら、初対面のオトコが、『これを探しているのかい、ハイ、君のモノだよ』と手渡してくれた。それがジョセフ・ヴォルピーさんでした」と、現場叩き上げのオトコにしかあり得ないエピソードを紹介した。
流石に歳の所為で歌は無理だったのだろう、「プッチーニのお祝いの言葉」と称して、今度は逆に彼女からヴォルピーに、曲がった釘をプレゼントした。

最後の曲はヴォルピーたっての希望で、ベートーベンのフィデリオ
いよいよエンディングになっても、主役ヴォルピーの姿が見えない。
司会者が「ヴォルピーはどこ?」とわざとらしく探すと、彼は出演者の後ろから曲がった釘を持って登場し、出演者一人一人に挨拶をして回った。
普通なら必ず行わるに違いない、主役の挨拶が全くなく、曲がった釘を持ち立ち空くしたままで大団円。
しかしこれこそハプニングだろう、ヴォルピーが現場で長い間使っていた椅子が持ち込まれ、ルネ・フレミングが送別の歌を歌う。
それをヴォルピーが微笑みながら聞くシーンで、コンサートは終わった。

同じ仕事に就きながら、ライブビューイングに自ら度々登場して、それなりの薀蓄を垂れる後継者のゲルブと、まるで喋らないヴォルピーの余りの違いに、僕は大いに驚いた。
同時に、自分の晴れ舞台でもお礼の言葉を一言も発せず、ただ微笑みながら頷くだけで去って行った、このヴォルピーなる人物に対して猛烈な興味が湧いてきた。
現場育ちで現場を大事にした彼には、百の言葉よりも、無言が似合うのだ。