昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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老害三羽烏の石原慎太郎、渡部恒三、村山富市

僕は自分が年寄りなので、若者よりも年寄りを応援する。
よって、新旧交代とか、新陳代謝なんて言葉は嫌いだ。
いつも若者には不満があるし、ほとんどの若者が、頼りなく見えて仕方がない。
 
仕事で肩叩きにあった時も、人知れず「僕がいなくて大丈夫だろうか?」と心配したし、「こんな優秀な人材を放逐していいのか!」と、これまた人知れず憤懣やるかたない思いになった。
尤も「今の若い者はナットラン」とはエジプトのピラミッドにも、チグリス川で発見された楔形文字にも書いてあると言われるので、年寄りが若者に対して不満を持つのは、文明が発祥して以来の人間の習性のようだ。
現に、僕がいなくなった後も、事業には何の支障もきたさなかったし、あれほど先行きを心配していた仲間たちも、「去る者日々に疎し」で、いつの間にか僕のことなど忘れてしまったようだ。
 
確かに年寄りの中には、誰がどう見ても「老害」としか思えない輩もいる。
例えば読売新聞社の渡邊恒雄、最近の雑誌でコテンパンに叩かれた住友化学米倉弘昌、いつまで経っても昔のやり方に拘る大塚家具の大塚勝久は、現代の老害三羽烏だろう。
しかし若手経営者だって、どうにもならない輩はいる。
だから僕は、若者の無鉄砲な情熱よりも、年寄り体を張った経験こそが、困難を切り抜ける手段と信じて疑わなかった。
少なくとも、8月14日までは。
 
この日、世間では午後6時に発表される安倍談話をめぐって、侃々諤々の議論が繰り返されていた。
どの局も、四つのキーワードが盛り込まれるのか否かについての取材を、まるで競馬の予想のように披歴していた。
中でもフジテレビは、安倍晋三に好意的な少数と、圧倒的多数の反対者と中国、韓国の論客が一堂に会して、「ああでもない、こうでもない」と大騒ぎだった。
そんなゲストの中で、とりわけ重鎮の役割を果たすはずだったのが、元東京都知事石原慎太郎、元民主党の「黄門様」渡部恒三、そして元総理大臣、社会党党首の村山富市だ。
無論、それまでの政治的立場から、この三人の意見が一致するはずはない。
局側も、三人の意見の違いから、国民に安倍談話への関心を高めようとしたのだろう。
しかし、もしもそんな高邁な思いがフジテレビにあったのなら、この三人の人選は最悪だった。
 
石原慎太郎は、「反省とお詫び」について聞かれると、「一番反省しないといけないのは白人」と力説した。
安倍談話の話をしているのに、白人、欧米諸国を非難しても、話がかみ合うはずがない。
渡部恒三は、「中国と国交回復したのは、自分が40年前に周恩来に会って、親分の田中角栄を紹介して」と、唾を飛ばしながら自分の自慢話に興じる。
「幸いにして83年間、私は誰も殴ったことがないし、殴られたこともない」と言っていたが、それはたまたま渡部が恵まれていただけで、世の中には苛めにあって自殺する若者が後を絶たない。
村山富市は、迫りくる中国の脅威について質問されると、「平和憲法を守ること、戦争をしないといっている国を責める国なんてありませんよ」と、これこそピンボケの極みの主張をした。
このオトコ、とっくの昔に破綻している旧社会党非武装中立論から、一歩たりとも抜け出してはいない。
 
それなりに政治の世界で影響力を有していた三人の年寄りが、揃いも揃って、真面な議論もできない。
これではとてもじゃないが、もっと年寄りの出番を増やしてとは言えない。
改めて、老兵は消え去る方が良さそうだ。