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採点競技って難しいんだよネ

男子フィギュアスケート羽生結弦の得点が、規定とフリーの合計で300点を超えたと大騒ぎになった。
前人未到の大記録で、一人だけ別世界、異次元の境地に至ったような大記録らしい。
 
スケートには素人でも、記録の素晴らしさは何となく分かる。
が、スケート関係者の佐野稔が「これは100m競走を7秒台で走ったような記録だ」と発言したのは、いくら何でも言い過ぎだろう。


100mの記録は、まるで無機質の機械によって測定された数値だ。
機械なので、故障はあるかもしれいが、人間の情状酌量の余地はゼロだ。
 
一方フィギュアスケートは、最近では色々の技を図式化し、採点基準を分かりやすくしているが、所詮は審判の主観で大きく左右される。
オリンピックのような大試合を見れば、自国の選手には大盤振る舞いの点数をつけ、ライバルには厳しく採点するのが、半ば常識となっている。
陸上競技のように極めて客観的な数値で優劣が決まるスポーツと違い、採点競技は人間の主観で点数がつけられる。
このような差がある競技を、同列で比較するがおかしい。
 
いささか旧聞に属するが、11月28日のボクシング・ヘビー級タイトルマッチで採点競技の難しさを感じた。
チャンピオンは11年以上負けたことがない絶対王者のウラジミール・クリチコで、挑戦者はイギリスのタイソン・フューリー。
大男のクリチコだが、挑戦者はそれよりもデカイ。
戦前の予想では圧倒的にクリチコ有利だったが、自分よりも大男との戦いに面食らったクリチコは、いつもの調子が出ずに、毎ラウンド似たような攻防を繰り返す羽目に陥った。
 
それでも最近のボクシングは、毎ラウンドごとに必ずどちらかにポイントをつけなければならない。
一昔前のように引き分けラウンドが認められれば、恐らくは各々が1ラウンドずつ取り、残りのラウンドはイーブンで、チャンピオンが防衛したはずだ。
ところが素人ではどちらが優勢とも分からないラウンドでも、ジャッジが無理やりに採点した結果、何と大番狂わせが起きてしまった。
大昔のKO勝ち以外を認めないようなボクシングルールは危険過ぎるが、しかし誰もが文句を言えないような形で、試合の決着を見る。
柔道のポイント制も然りだが、採点競技になると、負けた側が納得できない結果になりがちだ。
お互いにルールを熟知した上で戦ったのだから、負けたクリチコに文句や言い分があるわけではないが、ルール次第で勝者が変わる典型的な例でもある。
 
別に、羽生結弦の高得点にイチャモンをつけているのではない。
しかし陸上競技100mレースでは、その道で選び抜かれた超天才たちが、血のにじむ以上の努力を積み重ねてても、わずかに0.1秒を短縮するのに10年以上の年数がかかる。
いくらの自分たちの競技で驚異的な得点を叩きだしたとしても、それは人間の採点の結果だ。
言うに事欠いて、100mレースのタイムを引き合いに出すのは、よろしくない。
佐野稔は、羽生結弦の記録の素晴らしさを強調したいのだろうが、他の競技へのレスペクトを忘れると、思わぬ顰蹙を買うし、結果として羽生結弦の足を引っ張ってしまう。