昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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舛添要一劇場の最終章

舛添要一は、6月21日付で、東京都知事を辞職する。
現時点で辞職すると、次の都知事選挙が2020年東京オリンピックとぶつかるために、9月まで引っ張るべきとの反対意見もあった。
しかしこの間の騒動の中で、彼の人品骨柄に大問題があることが全国、全世界に知れ渡ってしまった。
だから個人的な見解だが、舛添が東京都知事に居座るよりも、完全フェードアウトして、あの醜悪な風貌が見えなくなる方がありがたい。
 
舛添要一が自ら辞職した途端、百条委員会開催は否決され、定例記者会見や次の集中審議も、舛添から出席を拒否された。
すると、識者と称する連中から一斉に
              「これで幕引きにしてはいけない」
              「疑惑は何一つ解明されていない」
              「舛添は説明責任を果たしていない」
と、一見正論だが、まるで現実味のないコメントが発せられている。
 
僕に言わせれば、こんなのは全くのざれ言、たわ言だ。
もしも舛添に説明責任を果たす積りが少しでもあったら、事態はまるで違う展開になった。
しかし舛添は、誰をも納得させる説明責任など、果たすことが出来ないのだ。
舛添は、政治資金の公私混同については、説明不能なことを繰り返し繰り返し、やっていたからだ。
彼は、政治資金に関しては、「使用用途については規制されていないので、何をやっても違法にならない」との確信していた。
その思いから、勝手気ままに私的に使いまくっていた。
それを問題視された時に、本音を言えば「それって国会議員の特権だもん!」だっただろうが、都知事の立場ではさすがにそこまでの開き直りはできない。
そこで必死に取り繕ったのが、あの評判の悪い記者会見だったし、「厳しい第三者の目で精査」だったはずだ。
だが所詮は庶民感覚では許されない金の使い方なので、言い訳をすればするほど不自然さが露呈する。
最後の最後は、頼みの綱の都議会与党からも三下り半を突き付けられ、あれほど執着していた都知事の座を捨てたのだから、舛添にとって残された道は、「人の噂も75日!」
 
識者たちは、そんな舛添が辞職した後に改心して、説明責任を果たすとでも思っているのだろうか。
そんなことをしたら、藪をつついて蛇を出す。
市民オンブズマンに、告発のネタを提供するようなものだ。
舛添が集中審議の中で約束した領収書の明細や、買い集めた絵画を公表することはないだろう。
もちろん給料、退職金を返上することもない。
ひたすら、世論の鎮静を待ち、復活のチャンスを窺い続けるだろう。
 
しかし今や、舛添の「セコさ」は、英語で世界に紹介される時代だ。
いくら舛添の偏差値が高かったとしても、さすがにあの公私混同振りを知ってしまった以上、舛添に対して何かを期待するような奇特な人は出てこない。
舛添は政治資金の流用で、様々なイイ思いもしたが、その反動で失った信用、信頼に泣く日が続く。
これを、自業自得と言う。
さらば、舛添要一
二度の再びそのツラを見たくはないが、しかし僕は、舛添の所業を決して忘れることはない。