昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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理屈と膏薬(こうやく)

未だ若手の会社員だったころ、印象的な経営者に出合った。
彼はある田舎町の、その中でも小さな企業の経営者だった。
この会社は実兄が社長、二男の彼は副社長で、兄は専ら社内、彼は営業と仕入れの責任者。
その他の社内要職も全て、彼らの息子たちが担当する、典型的な田舎の一族経営会社だった。
全員がなかなかのやり手で、この田舎町では知らない人がいない程の優良企業だったが、とりわけ副社長は辣腕の調達責任者で、その厳しい価格交渉振りは、あらゆる納入業者から恐れ嫌われていた。
 
その副社長はどういう訳か、営業経験が浅い僕を可愛がってくれた。
無論今になって振り返れば、「この青二才は、煽てれば木に登る単純野郎なので、チョイと騙して安値を引き出してやろう」程度の下心はあっただろうが、何も知らない僕に、工場を案内して製造過程を教授してくれたし、ライバル企業の動向も事細かく教えてくれたり、今何をしたらいいのかをアドバイスしてくれたりもした。
売りと買いで立場が違うので、彼の言葉を全面的に信じたわけではないが、それでもこの業界についてまるで素人だった僕には、彼から教えられる事が多かった。
 
仄聞する限り、この副社長の学業成績は、必ずしも芳しいモノではなかったらしい。
もっと正直に言うと、最終学歴は地元の高校卒なのだが、全く平凡な生徒以下でしかなかったと本人も認めていた。
しかし学校の成績なんて、実社会を生き抜く能力とは、必ずしも一致しない。
この人は、己の才覚と家族の絆だけで、近所の誰もが一目置く経営者になっていた。
 
彼からは、仕事への取組方で様々に教えられたが、人生観でも強く影響された。
彼の名言の一つが、「人の言う事を頭から信じちゃいかんゾ、理屈と膏薬はどうとでもつくからナ」だ。
彼は、どんなに持て囃されている経営指南書も、絶対に信じようとしない。
当時は、少し気の利いたサラリーマンに、ドラッガーの経営書がバイブルのように扱われ始めていた頃だが、読みもしないで「あんなのインチキ」と一刀両断に切り捨てる。
結果に責任を負わなくて済む、評論家や学者の意見なんて糞くらえ!
些細な失敗さえ許されない中小企業経営者の彼は、エライ学者様のどんなに煌びやかなご託宣よりも、自分の経験をベースにした判断を信じる人だった。
 
僕は彼よりも30歳近く若いので、学者の意見には、彼ほどの抵抗感はない。
ドラッガーだってコトラーだって、一応は読んだ事はあるし、問題を整理する時には役に立つと思っている。
しかしやはり、この時のこの副社長の「理屈なんて、どうとでも説明できる」との発言には全く共感してきた。
第一カネさえ出せば誰にでも買えるご託宣が、経営の本物の指南書になる訳がない。
 
言うだけだったら、誰でもできる。
大事なのは結果への責任だ。
結果が悪ければ、百の理屈で言い訳しても無意味。
銀行からも取引先からも、常に結果を求められる立場だったこの副社長は、実体験の蓄積に裏付けられた自信に溢れ、周囲を魅了する人物だった。