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「国民は許しません」ってもね…………

テレビのコメンテータや評論家は、「国民は」とのフレーズを多発する。
「国民は見ていますよ」
「国民は許しませんよ」
「国民にしっかりと説明しないといけません」
僕にはこれが、全く理解できない。
彼らが言う「国民」って誰の事だろうと、聞くたびにいつも強い違和感を持つ。
 
今朝がたはテレビ朝日ワイド!スクランブル」で、コメンタータの萩谷麻衣子が、最近頻発した大臣の不祥事に関して、「この人たちは国民を見ずに、安倍首相ばかりを見ている」と不満を口にしていた。
このオンナ、弁護士らしいが、話す内容は全く論理的ではない。
 
「国民を見る」とは、いったい何のことだろう?
彼女の発言の「大臣たちは安倍首相しか見ていない」部分は、この大臣連中は「任命権者の安倍首相だけゴマすりを繰り返している」との思いだろう。
事の真偽はともかく、言わんとする内容は理解できる。
では彼女は、大臣たちが具体的にどう振る舞えば、「国民を見ている」と満足するのだろうか?
どうも萩谷麻衣子には、彼女なりの思い込みがあり、関係者がそれを坊主懺悔で認めない限り、「真相が明らかになっていない」と感じるようだ。
例えば彼女には、失敗続きで防衛大臣を辞任した稲田朋美が、「私は報告を受けていたし、隠蔽を指示しました」とでも告白しない限り、「安倍首相の顔色ばかり窺っている」としか見えない。
しかしそれは萩谷麻衣子がそう思っているのであって、「国民は」とまで範囲を広げられると、「オイオイ、ちょっと待て」と言いたくなる。
 
昨日、ブロガーと称する山田某がFacebookで、「国民が辞めさせたいのは蓮舫代表ではない。国民は安倍首相を辞めさせたがっている」と書き込んでいた。
僕は早速、「国民の中には、安倍首相を支持する人も、批判的な人もいる。それを『国民は』とあたかも国民全部が安倍首相を辞めさせたがっているかの如くに主張するのはフェアではない。安倍首相を辞めさせたがっているのはオマエ自身ではないか!」と痛烈に批判したら、多くのン人から賛同された。
 
そう言えば、悪名高いTBS番組の「サンデーモーニング」でも、司会の関口宏やコメンテータの岸井成格もまた「国民」を多用する。
 
このような言葉は、何となく気の利いた意見を言っているようで、実は中身は空っぽだ。
また、極めて抽象的な「国民は」なる言葉で、自分の意見が多数派のように印象操作するのは、詭弁でありペテン的な手法だ。
職業柄、何か意見を言うことを求められているのなら、「私はこう思う!」と自分の意見を披歴して、批判を仰ぐべきなのに、「国民は」と主語をぼかすのは、自分の意見に責任を持たない卑怯な振舞いだ。
と、僕は思う。