昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所

10月3日11時20分、日本を出発した時の気温は25度、
それが翌4日、KRAKOWの気温は10度。
五日間滞在予定のKRAKOWだが、寒い!
すれ違う市民連中は、大半がダウンジャケットを着ている。
こんな寒い中でも、路上オープンレストランがあるが、席の横には悉く縦型ガスストーブが設備されている。
ホテルの暖房を最大30度セットにしても、部屋が広いので効かない。
猛烈な寒がりの妻は、雪だるまのように着込み、マフラーまで着用。
一方、極端な暑がりの僕は、パジャマ一つでバスタオルを毛布代わりにする程度。
その二人が、小さなダブルベッドに寝ているのだから、はなはだバランスが悪いはずだが、旅の疲れと時差ボケの所為で、二人とも現地時間の午後8時には寝入っていた。

KRAKOW二日目。
やっと時差ボケが治ってきたが、それでも午前4時半には目が覚める。
朝食は、昨晩現地のコンビニもどきで買っていた食材を、妻が備え付けの台所で調理。
パンをレンジで温め、野菜とフルーツで簡単なサラダまで食べることができた。
僕は、パンを食べる時には牛乳が必須だが、外国にはジュースとヨーグルトはあっても、牛乳は殆ど見かけない。
それがKRAKOWでは、1リットルボトルが100円もしない価格で販売していた。

この日は先ず列車の駅に行き、五日後のKRAKOWからワルシャワまでのチケットを手配。
それから、アウシュビッツ捕虜収容所を見学に。
列車を利用することも考えたが、場所が不便なので、地元旅行会社のツアーを申し込む。
20人乗り程度のバスで、三々五々客をピックアップしながら、目的地まで1時間10分。
ガイドは英語でしかも早口だが、想像力を駆使しながら、何とかついて行く。
現地に到着後、最初に鞄の大きさが20×30cm以内に規制された厳重な手荷物検査があり、続いてトイレ休憩。
ツアー客のほぼ全員がトイレに殺到すると、入り口に係員がいて、一人1.5ズウォティ、約50円を徴収する。
因みに、ツアーの間にはその後二度のトイレ休憩があったが、都度2ズウォティ、1.5ズウォティと払わなければならない。
ポーランドは、物価は安いが、トイレは高い。

この日は、あいにくの小雨模様。
ガイドの案内で、昔のオリジナルのままの建物を見て回るが、何せ歴史が歴史なので、見ているうちに、段々と心が重くなっていく。
囚人たちのアウシュビッツへの到着写真、徴収された膨大な量の靴、櫛、、カバン。
女囚たちの髪の毛の束や、SSの銃殺刑が実行された死の壁や、生体実験場跡。
極めつけは、復元されたガス室
犠牲者への哀悼の意味から、二か所ほど写真撮影禁止の場所があるが、多くの観光客はこれでもかとばかりに写真撮影に熱中する。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所は、「この過ちを繰り返さないように」と、世界遺産に登録されている。
観光客もまた、同じ気持ちで写真を撮りまくっているのだろう。
しかし当時はナチズムに支配されていたとは言え、実際にこんな凶行を実行したのはごく普通のドイツ人たちだ。
ナチスによる残虐行為が行われた施設の前では、観光客の興奮度が上がっている。
またイスラム国や世界中の過激派たちは、自分が信じた思想の正しさを立証するために、無差別テロを繰り返している。
人間は何かのきっかけで、アウシュビッツの悲劇を再現してしまうに違いない。
小雨の中で、三時間以上かけて強制収容所の施設を見て回りながら、そんな思いを持った。

収容所入り口に、「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)と横書きされている。
ダッハウ収容所にも、全く同じ文章があったが、ナチの欺瞞をよく表している。
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夜は、昨日のパスタバーへ。
昨晩はボンゴレはやっていないと言われたが、この日は注文OK。
ホテルの戻り、風呂に入ると、ドッと睡魔に襲われた。