連中は、単語のどこかに、必ずアクセントをつけるからだ。
例えば、極めて一般的な日本的名前「田中一郎」を呼ぶ時、日本人のように「たなかいちろう」とは言わない。
「イィチロウゥヲ タァナァカァ」と、大袈裟なほど抑揚をつける。
連中にとって、日本人のようにフラットに発音するのは、不可能に近い。
逆に日本人にとっては、外国人の物言いは如何にもわざとらしく思える。
数年前に、阿部寛と上戸彩主演の映画、「テルマエ・ロマエ」がヒットした。
そこで阿部寛が演じるルシウスが初めて日本人を見て、「平たい顔族」と表現するシーンがあった。
確かに、欧米人は顎がとがって、一見してシュッとした顔立ちだが、日本人は、凹凸が少ない彫りが浅い顔だ。
しかし僻むわけではないが、目が奥まっていて鼻が高い欧米人を見ると、暑苦しくて付き合いきれない気がする。
大半のアジア人もまた、日本人同様に「平たい顔族」だ。
しかし顔つきは似ていても、日本人と他のアジア人とでは生き様が違う。
日本人以外のアジア人は、基本的に自己主張が激しい。
中国人、朝鮮人、インド人は、例え間違っていても、絶対に自分が正しいと頑張る民族の典型だが、日頃はおとなしいタイ人やマレーシア人だって、ディベートとなると牽強付会、我田引水を辞さない。
情緒が安定していて、すぐに謝罪する日本人なんて、国際的にはレア人種だ。
日本人は、基本的に「遅れず離れず」の中庸精神を尊ぶ。
横並び体質がしみ込んでいて、「出る杭は打たれる」文化に染まってきた。
周囲に気を配り、周囲を慮ることを是としてきた。
面倒な事態が起きると、先ずは自分が謝罪すれば、周囲が真意を忖度してくれると信じ込んでいる。
世界的に見ても、日本人のような存在は稀有だ。
そんな日本人だから、外国人のような弱肉強食の世界は縁が遠かった。
それがアメリカの押し付けでグローバル時代に突入し、それまでの横並び体質が見直されている。
日本人の特質が、外圧によって大きく変わってきているのが現実だ。
しかし僕は、顔も喋りも生き様までフラットな日本人だったが、実は一番平和的な民族だと思う。
むしろ日本的な価値観が世界に拡大する方が、世の為、人の為に役立つのではないだろうか。
何も、力は正義、喧嘩上等、Jangle-lawの考えに、右へ倣う必要はない。