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人間の能力とカネ儲け

佐川宣寿前国税庁長官の国会での証人喚問を見て、改めて「人間の能力とは何で、どうやってそれを評価するのだろう」と思った。
 
ほとんど一日を費やして、与野党の衆参議員たちが、厳しい口調の質問を浴びつける。
野党の大半の議員たちの質問は、まるで揚げ足取りに終始している。
くだらないない質問ばかりだが、重箱の隅をつつきまわるような調子なので、うっかりした回答でもしようものなら、直ちに鬼の首でも取ったように騒ぎまくる。
 
余りの愚問の連発に、途中から証人の佐川元長官は、呆れ果てた様な、諦めにも近いような表情を浮かべていたように見えた。
それはそうだろう。
一貫して超優秀な成績で国家公務員になり、出世コースのトップを走ってきた佐川元長官にとって、理屈も減ったくれもないような質問を繰り返されれば、いい加減に嫌になるに違いない。
 
野党議員の思惑はタダ一点、「公文書書き換えに安倍首相、若しくは官邸からの圧力があった」との言質を取ることだ。
それを証人喚問の最初に佐川元長官から「、そのようなモノはなかった」と明言されては次の一手がない。
江田憲司なんて、「圧力はなかったと断言したが、全員、一人一人から聴取したのか?聞いてもいないのにどうして断言できるのか?」などと、イチャモン以下の質問をぶつけてきた。
佐川元長官は、「我々は組織で仕事をしている。自分のところに上がってきた報告には、圧力があったとの兆候はない」と切り返したが、江田憲司は諦めない。
いつまでもクドクドと、「圧力がなかったと断言するのはおかしい」と繰り返す。
 
福山哲郎もそうだが、佐川元長官が「私が悪うございました。隠してきたけど、実は官邸から強制されて」と言わない限り、全く納得しないのだ。
佐川元長官が、肝心の質問には「訴追の恐れがあるので答弁できない」と答えると、「それでは証人喚問の意味がない」と逆切れしてしまう。
籠池泰典被告の時もそうだが、証人には自分が不利になる事へは証言拒否の権利がある。
それを突破するには、質問する側が、証人がグウの音も出ないほどの証拠を突き付ける必要があるのに、野党の準備した質問は、今まで既に明らかになっているものばかり。
これでは、佐川元長官サイドが入念に準備してきた対策を、突き崩せるはずがない。
 
江田憲司にしても福山哲郎にしても、佐川宣寿ほどの超優等生ではなくても、一応は大学を卒業した秀才の仲間だろう。
江田憲司は、橋本龍太郎政権では、「陰の実力者」とまで評価されていた。
それが国会議員としての晴れ舞台で、あの程度の質問しかできず、思い通りの成果が出ないことに苛立ち、悪態をつくのはまるでガキが駄々をこねているのと一緒だ。
 
佐川宣寿元長官だって、一年前までは順風満帆な役人人生だったはずで、今になってこんな仕打ちを受けるなんて思ってもいなかっただろう。
つくづく、人間の能力なんて、偏差値の高さではないと思い知る。
よっぽど、走るのが早いとか、高く飛べるとか、歌が上手いとか、野球やゴルフが上手い方が、腕一本でカネも稼ぐことが出来るし、社会的認知度も高い。
 
そこで自分の事だが、予てからディスクローズしているように、僕には天与の才能がある。
それは、ズラの人間を瞬時に見破ってしまうことだ。
人は僕のことを、長らく「生え際の魔術師」と崇め奉ってきた。
さらに最近になって、他人にあだ名をつけることにも、特殊能力があることが分かってきた。
「誰それは、誰それに似ている」と言い出すと、大半の場合、当初は一笑に付される。
しかしそのうちに、「よく見ると、確かに似ている」と言われ、次第にそれがあだ名として定着する。
 
誠に残念なのは、その才能のいずれも、全くカネ儲けにならないことだ。
折角神様に与えられた才能なら、せめて何がしか資産形成に役立って欲しかったと思っている。
そんなバカげた思いに駆られるほど、野党の証人喚問は不出来な代物だった。