昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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カルロス・ゴーンは二度、日産を救った

今回のカルロス・ゴーン逮捕劇は、日産自動車側経営陣が仕掛けたクーデターだったとの見方が定着してきた。
その原因は、目に余るカルロス・ゴーンの公私混同振りだった。
 
公表されているだけで年収10億円も手に入れているカルロス・ゴーンが、何故目を覆うような銭ゲバになり果てたのか?
生まれ故郷ブラジルの大統領になるための、裏金作りとの説がある。
一私企業の日産ですらこれほど食い物にしたオトコが、一国の大統領に成り上がったら、その時の腐敗堕落振りは想像するに余りある。
ブラジル国民は、今回のカルロス・ゴーンの逮捕で、大災厄を逃れた。
 
カルロス・ゴーンは、偏差値が高く、且つ経営に不可欠のリーダーシップにも恵まれているが、肝心要の人品骨柄に難があった。
ゴーンにとっては、幼少期の貧困の苦労がトラウマとなり、拝金主義に走ったのだろう。
ゴーンの親族もまた、成功者、カルロス・ゴーンを集りの対象として群れてくる。
企業で信頼を得た担当者がある権限を手に入れた途端、その周りに如何わしい親類縁者や取り巻きが現れ、権限を利用して不正蓄財を図る。
発展途上国では、こんな構造が工場の隅々で発生する。
カルロス・ゴーンの場合は、その規模がけたたましく大きいのだが、不正の構造としては、「育ちの悪い成り上がり者の悲劇」だ。
 
しかし冷静に振り返ると、日産自動車は二度に亘って、この金の亡者、カルロス・ゴーンに救われた。
一度目は1999年、日産が経営危機に陥った時だ。
資本注入したルノーから派遣されたカルロス・ゴーンは、後に「ゴーン改革」と持て囃されたコストカット政策を断行し、わずか二年で「日産奇跡のV字回復」を実現した。
この時の成果は、あらゆる場面で喧伝され、カルロス・ゴーンの名を、名経営者、改革者として世界中に知れ渡らせた。
海外旅行中にたまたま公園で隣り合ったフランスの老人が、「カルロス・ゴーンは我々の誇りだ」と自慢げに話してことが忘れられない。
一市民が、フランスを代表する人物として、当時のシラク大統領ではなく、カルロス・ゴーンの名前を挙げるほど、カルロス・ゴーンは有名人だった。
ただカルロス・ゴーンの名声は高かったが、実行したことはコストカットだけで、自動車メーカーの生命線である、車のヒット作品を生み出したわけではない。
また「コミットメント」は、カルロス・ゴーンが日産リバイバルプランで使った言葉だが、その後あらゆる企業で使用される流行語になった。
しかしこれは、それまで普通に使われていた「ノルマ」を、新しい言葉に置き換えたに過ぎない。
世に名高いゴーン改革の実態は、協力者、即ち納入業者や下請けメーカーとの収益の線引きを、一方的に日産側に有利に引き直したに過ぎないのだ。
 
二度目に日産自動車カルロス・ゴーンによって救われたのが、今回の逮捕と代表取締役会長解任劇だ。
日産を私物化したカルロス・ゴーンの腐敗堕落振りは、日産社員にとっては我慢の限界を超えていた。
それはそうだろう。
桁違いの給料をとりながら、世界中に高級住宅を買い上げ、家族を住まわせる。
数千万円の家族旅行の費用も、会社に請求する。
勤務実態が全くないのに、母親や姉に対して高額の給料を支払う。
しかもその全てたが、日産自動車の負担になっている。
さすがに義憤に耐えかね、内部告発があり、密かに内定が始まり、司法に通報される。
カルロス・ゴーンは、このような社内の動きに全く気が付くことがなく、暢気に日本に再入国した羽田空港で身柄を拘束された。
 
しかし日産側がカルロス・ゴーン追放に走った真の狙いは、ルノーの完全支配を避けるためだ。
唯一最大の権力者の追放を画策する場合、同志の結束と信頼感、機密の保持こそがマストになる。
失敗した場合は、自分達に下される処分は苛烈を極める。
その時に、明らかにされたカルロス・ゴーンの破廉恥行為の数々が、社員の憤怒と団結の源泉となり、そんな恐怖心を乗り越えることが出来た、
要は、カルロス・ゴーンが不正の限りを尽くしていたからこそ、カルロス・ゴーン追放の目論見がバレなかった。
しかもその結果、ルノーとフランス政府によるによる日産自動車の完全子会社化を防ぐことが出来た。
これこそ、カルロス・ゴーン日産自動車と日本政府を救った二点目だ。
 
カルロス・ゴーンの悪行は罪万死に値するが、日産と日本にとっては一本の細い蜘蛛の糸でもあった。
カルロス・ゴーンは二度、日産を救った。
一度目は辣腕経営者として、二度目は腹黒の強欲爺ィとして。