昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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おバカさんねェ

もうみんな忘れてしまっただろうが、安倍晋三首相が「云々」を「でんでん」と読んだことがある。
昔から勘違いしていたが、誰も注意しなかったのではと推測される。
余りにも初歩的な間違いを仕出かした偉い人に対しては、彼の自尊心を慮ってなかなか質し難いのは良くある話だ。
この当時の民進党有田芳生は、ここぞとばかりに安倍晋三のミスを口汚く揶揄した。
ところが自分もまた、「若冲生誕300年記念展」をFacebookで褒めちぎっているのに、「若沖」と書き間違えている。
せっかく芸術への造詣の深さを披露した積りでも、若冲の漢字を間違えては台無しだ。

最近このブログにコメントしてきた、とある親父が、安倍晋三の漢字力のなさを痛烈に批判していた。
彼によると、「漢字も読めない安倍晋三が、日本の首相であることが恥ずかしい」らしい。

アヘアヘいい所はなく、
でんでん、がいちてき、国連での背後をせぃごと読む国語力の小児並みが露で、嘲笑われている。
幾らなんでも此れ位読めるだろうとの官僚の推測をぶっ飛ばす無能ぶり。
私は立法府の蝶、二度の内閣で同じように発言、3権分立は到底理解出来ない頭(散見と誤解してそう)。

この馬鹿に社会のプラスになる事は何が出来るか、相当難しい課題だが、思いついた。
あべのせいめいまっしょうかもしれない名前をヒントに、

陰陽道が流行ったらしい、菅原道真を奉る神社等、怨霊への畏れは政治にも表れている。。」

美しい国日本等とこいており、財務局官僚は意に反して、改竄させられ、自死した。
天地の怒り、地震、雷、熱暑、台風、大雨、を人柱に成って鎮めて貰おう。
馬鹿でも出来る大役、歴史にも残る。
「ひとばしら!」 「人柱!」

要は、無能な安倍首相は、人柱となって天地の怒りを鎮める程度しか役に立たないと罵倒しているのだ。
主義主張は人それぞれだし、ネット社会では安倍首相を支持する声と、安倍所賞に批判的な勢力が、お互いに口汚くののしりあっている。
だからこの程度の悪口は許容範囲なのだろうが、しかし選挙で選ばれた一国の首相を馬鹿呼ばわりしても何一つお咎めがない日本は、何と自由で素晴らしい国だろう。
お隣の中国では、女子学生が習近平の写真に墨汁を振りかけただけで拘束されたのだから。

多くのマスコミに嘲笑された安倍首相の読み間違いだが、誤字脱字や勘違いは誰にでもあることだし、僕なんかもその常習犯の一人だ。
だから僕は、その事を理由に他人を非難はしない。
しかし他人を能無しと批判し、その理由の一つとして国語力のなさを指摘するからには、やはりそれなりの用心が必要だろう。
少なくともその事を指摘した文章の中には、誤字や、漢字の読み違いがないように努力するべきだ。
ところが安倍首相を馬鹿呼ばわりする彼は、わずかこれだけの文章の中に「立法府の蝶」「あべのせいめいのまっしょう」と二か所も間違えている。
(文章の流れからして、まっしょうとはおそらく「末裔」のことだろう)

我々は身近な例として、偏差値の高低が経営者の評価に無関係なことを多数知っている。
安倍晋三のIQについては、「全くパッとしなかった」と、家庭教師だった平沢勝栄が話していた。
しかしスタッフが揃っていれば、それでも充分に政治家としてやっていける。
政治家に必要なのは学校の高成績ではなく、大局観や判断力、洞察力、そして決断力だからだ。
それは決して学校のテストでは分かるものではなく、その人が育った環境や、その人の努力、人生経験による部分が大きい。

安倍首相が気にいらないのなら、彼の進める政策への批判と建設的な代案を示すべきだ。
その事で、選挙を通して、自らの主張への賛同者を増やすべきで、些末な個人への誹謗中傷が安倍首相への批判に高まることはない。