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芸能人の政治発言の是非について

ローラが「沖縄の海を守れ」と、ネット上で署名を呼びかけ、議論を呼んでいる。
 
例によって賛否は半々だが、よくよく見ると、ローラの行動への反対意見にも二種類ある。
一つは、火付け役の一人、自らも芸能プロ社長のデーブ・スペクターで、「芸能プロ所属の芸能人は一人で活動しているわけではなく、後ろに多くの人がサポートしているのだから、とりわけCMタレントが政治的発言をすることは、色が鮮明になるので仕事に差しさわりが出る」と言うモノ。
人気商売の芸能人は、不特定多数の支持が大事なので、一方に偏った意見はリスクがあるとの見方だ。
もう一つは、「芸能人だろうと政治的発言は自由だが、ローラの場合は余りにも場当たり的で不勉強」との見解だ。
 
元々芸能界は、サヨクが強い業界だ。
構成員たちは、表面的には煌びやかだが、所詮は人気だけが頼りの浮き草稼業で、銀行のローンも思うに任せない連中だ。
何よりも長期間に亘って、「川原乞食」と差別されてきた歴史もある。
劇団や俳優組合が、日本共産党シンパの温床だったことも、公然の事実だ。
だから彼らが政治的発言をする時は、大半が野党側に立って、時の為政者を批判する。
これは、日本共産党の機関紙「赤旗」や「アカハタ日曜版」に登場する、人気俳優たちの多さにも表れている。
ローラがまるで無邪気にサヨク的発言をするのも、彼女を取り巻く環境を考えれば、宜なるかななのだ。
 
当然ながら、今回の彼女の発言に理解を示す連中は、サヨク側の人間だ。
実際には政府のやること為すことが気に入らないのだから、政府に異を唱えたローラの意見を「勇気ある発言」と持ち上げる。
しかし反対派は、「では普天間基地はそのままでいいのか?」とか、「沖縄の海を守れと言うのなら、那覇空港拡張にも反対するべき」とか、ローラの意見の稚拙さを問題視する。
ローラ自身が次の発言をしていないところを見ると、彼女の覚悟の程も勉強の程度も底が割れてしまう。
 
ところがこの問題は、意外な方向に拡散してきた。
すっかり老害コメンテータと化したテリー・伊藤と、お騒がせ芸人、ウーマンラッシュアワー村本大輔が、CMスポンサーとの関連でローラを応援したのだ。
テリー・伊藤は、デーブ・スペクターの主張を受けて「この程度の発言でCMを下すスポンサーは問題だ」と言い、村本に至っては「権力を使った言論弾圧」「芸能人とスポンサーは対等なのに、スポンサーは頭が高い」などと、全く頓珍漢なことまで言い出した。
一方、高須クリニック高須克弥院長は、「スポンサーがタレントを選ぶのであって、逆はない」と反論している。
こうなると、芸能人の政治発言などではなく、芸能人、芸能プロ対スポンサーの在り方にまで話が拡がり、適当なところを落とし処とはならなくなってきている。
 
僕の個人的な意見は、「芸能人でもスポーツ選手でも、自由に政治的発言をすればいい」だ。
玉虫色の発言よりも、自分の主張を旗幟鮮明にする方が、その人間を分かりやすい。
しかしそのような発言をする以上、賛成する人もいるが、強く反発されることも覚悟するべきだと思っている。
この社会では、自分の価値観だけが正しい訳でもなく、必ず、まるで正反対の意見を固く信じている人たちが存在している。
これはいくら話し合っても決着がつかない問題であり、結局は民主主義のルールに則り、多数決で事を進めざるを得ない。
自分の考え、立場を明らかにすると、評価が分かれてしまうのだ。
 
だからこそ、人気商売の芸能人の多くが。自分の主張を隠してきた。
歌手なら自分のCDを買ってくれる人、俳優なら自分が出演したドラマを見てくれる人、CMタレントなら自分が宣伝する商品を買ってくれる人は、右・ヒダリに関係なく「お客様は神様」だからだ。
しかし「仕事よりも政治が大事」と、リスク覚悟で敢然と政治的発言をする芸能人を、僕は否定しない。
ただ、僕の意見と違う芸能人を嫌いになるだけだ。
勿論、彼らの唄を聞くこともないし、出演するドラマを見ることもなく、彼らが宣伝する商品を購入することもない。
 
因みに村本大輔は、「高須クリニックが提供する番組には出ない」と力んだが、そんな話が一度でもあったのか。
高須克弥院長から「番組に村本を起用したい」と持ち掛けられたのを拒否したり、あるいは「院長が危険思想の高須クリニック利用をやめよう」と呼びかけるのなら、芸人よりも政治的立場を優先した、人間・村本大輔の誇りを感じるが、単なる思い違いなら「スポンサー批判はもっと大物になった後」と軽く一蹴されるのがオチだ。
こんなところに、芸能界で生きてきたはずのサヨク、テリー・伊藤や村本大輔の幼児性が垣間見えてしまう。