昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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サヨクは何故暴力的か?

僕は若かりし頃の一時期、共産主義に幻想を持っていた。
資本主義の矛盾を解決し、平等な社会が実現できると真剣に思っていた。
だから普通の人よりも、共産主義については勉強している。
僕の高校時代はベトナム反戦運動が一番盛んで、中でも意識の高い民青(日本共産党の配下)の高校生が英会話を教えに来たアメリカ人に「How do you think about Vietnam War?」と質問した時、
彼は間髪を入れず「Good! Because communism must be stopped.」と答えた。
 
それから半世紀ほど経過したが、あの時のアメリカ人は正しかったと思うと同時に、当時べ平連運動を指導していた小田実などは今どう思っているのか聞いてみたいものだ。
ところが世の中には、耳触りの良い「リベラル」と称して、今もって共産主義に傾倒している、若しくは憧れに近い想いを持つサヨクがいる。
しかし世界中の共産主義国家が行き詰まり、破綻してしまった現実を見れば、もはや共産主義は間違いだったと断じざるを得ない。
今となっては、あんな世迷い事を信じた自分の未熟さを反省しているが、言い訳ではないが当時はそんな若者がたくさんいた。
 
今では、自民党に不満でも、共産主義を標榜する日本共産党にはアレルギーを持っている人が多い。
ごく一部の幹部連中を除けば、共産主義で幸せになった人など皆無なのだから、真面に評価しない人たちが多いのは当たり前だ。
実は平等社会の実現を唱えていたはずのサヨクは、内部に深刻な階級制を抱えていて、幹部と平党員の間には恐ろしいほどの格差がある。
サヨクはこれを、「幹部は余人をもって代えられないほど優れた人物だから」と言い訳するが、そんな特権を得た連中は、必ず自分の地位を守るために腐敗堕落していく。
世界中のサヨク連中のトップが、晩節を汚し、追放されてしまうのもまた歴史の必然だ。
(生涯個人の富を求めなかった数少ない例外が、キューバカストロベトナムホーチミンと言われている。)
 
多くの人がサヨクに対して持つ疑問の一つに、彼らは反戦平和を唱えるのに、何故自分達は暴力的なのかがある。
彼らの乱暴狼藉振りは、具体的には辺野古埋立ての反対運動があるし、関西生コンの組合運動がある。
一昔前まで戻れば、過激派、連合赤軍の総括リンチ事件、中核派革マル派内ゲバがあり、もう少し遡れば、日本共産党の査問事件、暴力革命路線もある。
サヨクは、自分達の意見を主張する時、極めて暴力的になるのだ。
 
無論これには理由がある。
実はその根っこは、繰り返されるサヨクのブーメラン現象と一緒で、彼ら自身がダブルスタンダードで生きているからだ。
サヨクには、「良い暴力」と「悪い暴力」が存在していて、彼らはその事に疑問を持たない。
勝手に、国家権力、警察、機動隊、自衛隊の暴力は「悪い暴力」であり、それに対抗する自分たちは「正義の暴力」を行使していると思っている。
彼らが良く使うフレーズに、「歴史の歯車」がある。
歴史の歯車を正しく前に回しているのが自分達で、逆に回しているのが反革命勢力と決めつけている。
彼らの理屈では、歴史は資本主義から共産主義に移っていくのが必然なので、反革命勢力を打倒し、一掃することこそが正義になる。
よって彼らは、反革命と定義した勢力には、遠慮会釈なく暴力を振るうし、そうすることで革命が近づくと思っている。
 
またサヨクたちは、自分達に反対する「反動勢力」だけを敵と看做しているわけではない。
昨日までは同志だった連中でも、些細な理論の違いから、一気に反革命勢力に成り下がる。
この場合は「異端は異教より憎し」と近親憎悪が増幅され、力を以って相手をせん滅するのは正義の闘いと規定されるから、凄惨な内部闘争になってしまう。
自民党では、安倍晋三石破茂が総裁の地位を巡って戦い、一方が敗北しても党から叩きだされることはないが、サヨク界隈では路線闘争に負けた途端、自分の居場所がなくなるだけでなく、生命の危険すら発生する。
共産主義国家に言論の自由がないのは、ごく自然な成り行きであり、逆に自由闊達な意見交換などがあれば体制が維持できないので、意見が違う場合は相手を叩きのめす方法をとってしまう。
ことほど左様に、サヨクは暴力的なのだ。
 
実は日本で政府を批判しているサヨク達こそ、真の意味で彼らが批判する体制に守られている。
だからこそ好き勝手なことが言えるのだが、そんなことにすら気が付かず、相も変わらず「政府は怪しからん」とか「安倍政権は危険だ」などと吹聴しているのは滑稽でしかない。