僕は若かりし頃の一時期、共産主義に幻想を持っていた。
資本主義の矛盾を解決し、平等な社会が実現できると真剣に思っていた。
だから普通の人よりも、共産主義については勉強している。
僕の高校時代はベトナム反戦運動が一番盛んで、中でも意識の高い民青(日本共産党の配下)の高校生が英会話を教えに来たアメリカ人に「How do you think about Vietnam War?」と質問した時、
彼は間髪を入れず「Good! Because communism must be stopped.」と答えた。
今となっては、あんな世迷い事を信じた自分の未熟さを反省しているが、言い訳ではないが当時はそんな若者がたくさんいた。
ごく一部の幹部連中を除けば、共産主義で幸せになった人など皆無なのだから、真面に評価しない人たちが多いのは当たり前だ。
実は平等社会の実現を唱えていたはずのサヨクは、内部に深刻な階級制を抱えていて、幹部と平党員の間には恐ろしいほどの格差がある。
サヨクはこれを、「幹部は余人をもって代えられないほど優れた人物だから」と言い訳するが、そんな特権を得た連中は、必ず自分の地位を守るために腐敗堕落していく。
世界中のサヨク連中のトップが、晩節を汚し、追放されてしまうのもまた歴史の必然だ。
サヨクは、自分達の意見を主張する時、極めて暴力的になるのだ。
無論これには理由がある。
サヨクには、「良い暴力」と「悪い暴力」が存在していて、彼らはその事に疑問を持たない。
勝手に、国家権力、警察、機動隊、自衛隊の暴力は「悪い暴力」であり、それに対抗する自分たちは「正義の暴力」を行使していると思っている。
彼らが良く使うフレーズに、「歴史の歯車」がある。
歴史の歯車を正しく前に回しているのが自分達で、逆に回しているのが反革命勢力と決めつけている。
よって彼らは、反革命と定義した勢力には、遠慮会釈なく暴力を振るうし、そうすることで革命が近づくと思っている。
またサヨクたちは、自分達に反対する「反動勢力」だけを敵と看做しているわけではない。
昨日までは同志だった連中でも、些細な理論の違いから、一気に反革命勢力に成り下がる。
この場合は「異端は異教より憎し」と近親憎悪が増幅され、力を以って相手をせん滅するのは正義の闘いと規定されるから、凄惨な内部闘争になってしまう。
ことほど左様に、サヨクは暴力的なのだ。
実は日本で政府を批判しているサヨク達こそ、真の意味で彼らが批判する体制に守られている。
だからこそ好き勝手なことが言えるのだが、そんなことにすら気が付かず、相も変わらず「政府は怪しからん」とか「安倍政権は危険だ」などと吹聴しているのは滑稽でしかない。