今回のカンボジア旅行で、三人の現地ガイドを雇った。
基本的には我々夫婦の海外旅行は、ガイドなしで勝手気ままに観光してきた。
しかしカンボジアには多くの遺跡があり、効率的に訪ねるには交通手段が必要だ。
かてて加えて、カンボジアの歴史は、少々本を読んだくらいでは理解できない。
そんな訳で、現地旅行会社で日本語ガイドを雇った次第だ。
これは二つの観点から、大正解だった。
一つは、カンボジアの遺跡は他国に比べスケールが大きく、且つ歴史が古い。
このような遺跡を要領よく見回り、歴史的意義を理解するのに、ガイドの存在と説明が大いに役立ったこと。
しかし近代になって、インドシナを植民地支配したフランスがベトナムに敗れて撤退した時に、現在の国境が決められてしまったのだが、それは元々南ベトナム地域やタイの一部は自分の領土と考えていたカンボジア人にとっては、極めて不満な決定だった。
その後、フランスに替わって南ベトナムに進駐したアメリカと北ベトナムの、いわゆるベトナム戦争では、中立だったはずのカンボジアだが、国土の一部がホーチミンルートだったとの理由で、アメリカ軍による北爆同様の絨毯爆撃を受け、国内の農業に壊滅的被害が出た。
しかしそれが、地獄の始まりだった。
その数は不明ながら、二百万人近いのではと言われ、知識人以外にも芸術家や芸能人の八割以上が殺された。
こんな無茶苦茶な政権だが、反米反ベトナムでシアヌーク殿下と連合していたために、その後にポルポト派の大量虐殺を訴えられても、中国はポルポト政権を支持し、国際社会もベトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権を認めず、大量虐殺も信じなかった。
最終的にポルポト派が壊滅するまで内戦が続いたが、その後の政権側も内輪揉めの果てに現在のフン・センが全権力を掌握して、今日に至っている。
しかし長期政権の例にもれず、現政権も腐敗堕落しきっていて、全ての政策は賄賂で決定されている。
フン・センとその取り巻きだけが、違法な手段で個人資産を蓄財しているし、その背後でベトナムと中国がいて、実効支配を強めている。
以上はガイドからの受け売りだが、実はカンボジアでは、政治の話はタブーと聞いていた。
無論、日本人相手のガイドだから、日本人に対してのお追従はあるだろう。
しかしガイドたちが見ず知らずの観光客を相手に、ある意味自分たちのリスクを冒してまで政権の腐敗を訴えているのは、カンボジア国民の中に、反政府、反フン・センの感情が高ぶっていることを示している。
実はこれは、世界中の独裁国家で起きた事と一緒だ。
しかし歴史の教えでは、独裁者がどんなに強権を以って国民を抑え込んでも、それはいつの日か打倒される。
共産主義がどんなに美辞麗句を重ね、理想を語っても、その実態は残虐さ、冷酷さ、そして一部エリートの腐敗につながることを暴露している。
心底そんな気持ちにされた、今回のカンボジア旅行だった。