この世に、こんなに悲しいことがあるだろうか。
母が死んだ時に、そう思った。
僕自身、肉親との別れは、母親が初めての経験だった。
遺体を前にした時、人目もはばからず泣き崩れたほどだ。
もう四十年前のことだ。
五年後に、母に続いて父親が死んだ。
そしてその後に、姉二人も死んだ。
家族で残っているのは、兄二人と僕の三人。
僕は、すぐ上の姉とも、歳が7歳も離れている。
順番からいけば、兄二人も僕が看取らないといけない。
大好きだった家族との別れを、全部経験せざるを得ない。
末っ子で甘やかされたので良いことも多かったが、最後の最後に、イヤな役割も担わされている。
人生は、いつも収支トントンだ。
出会いがあれば、別れもまた必然だ。
僕の妻とも子供たちとも、いずれは別れる時が来る。
どんなに嫌がっても、これは避けられない。
そんな時に、僕は絶対に妻や子供たちを看取りたくはない。
彼らよりも、遅死にだけはしたくないのだ。
これも年齢的に見ても、僕が彼らに看取られるのが自然だ。
僕は、あまりいい父親ではなかった。
仕事にかまけて、悪く言えば仕事を言い訳にして、子育てはすべて妻任せだった。
よって我が家の子供は、母親の薫陶よろしきを得てはいるが、父親である僕は、さして影響力があったわけではない。
そんな僕が最後にできる子供への教育が、肉親との別れの悲しさを経験させることだと思う。
この逆があってはいけない。
年長者の家族を看取るだけで、あれほど嘆き悲しんだのだから、自分よりも若い家族を失う悲しさなど想像もできない。
家族の中で最年長の僕にとって、子供への最後の情操教育が死ぬことと思えば、少しは死への恐怖感も薄らぐし、生きてきた甲斐もあったことになる。