今日はお袋の祥月命日。
世の中にこれほどの悲しさがあるのかと、嘆き悲しんだ日から60年が経過した。
その5年後に親父が、そして最近姉二人が相次いで他界した。
嫁方も、17年前に義父が、そしてその11年後に義母が死亡した。
だから身内の葬儀経験は、計6回になる。
仕事の関係で、葬儀に参列したことは多い。
同じ職場で一緒に仕事をしてきた二人の先輩が、ガンで倒れた。
家族も良く知っていたので、葬儀に参列した時は感極まったが、仕事の忙しさにかまけてすぐに忘れた。
顧客の葬儀は、将に渡世の義理で義務的に参列するだけなので、感傷的になることはなく、焼香が終わったらお役御免。
会社間のアリバイ工作のようなモノで、冷たいようだが悲しさなど感じたことがない。
しかし、肉親との別れは別だ。
母の訃報に取るものも取り敢えず葬儀に駆け付けたが、いつも僕には殊の外優しかった母親の死体を見た時はショックだった。
母の遺体を触った時の、あの異常な冷たさは忘れることができない。
親不孝ばかり繰り返していた僕に対して、母は決して怒らなかった。
警察沙汰で身元引受に来た時も、黙って僕の肩をポンと叩いただけで、恨みがましいことは一切口にしなかった。
それだけに、親に心配をかけたことが申し訳なく、深く反省した。
一応は真人間として今日を迎えられたのは、母親のお陰だ。
そんな母親が、遺体となって祭壇に横たわっている。
それはどうにも受け入れることができず、人目も憚らず泣き崩れた。
通夜や葬儀そのものは、全て葬儀社が取り計らうので、遺族は昼間は弔問客の相手をし、夜間はひたすら線香を絶やさないだけ。
いざ出棺の時に、棺桶を花で満たし、火葬場まで付き添う。
葬儀はそんな段取りで進んだ。
予定の時間に火葬場に到着すると、すぐに焼き場に行く。
そこが死んだ家族との最後の別れの場で、焼き場の蓋が閉まり火葬が始まった瞬間は、いよいよこれで見納めとやはり涙が溢れた。
そこから火葬が終わり、骨を拾うまで一時間以上の時間がかかる。
遺族はその間、待合室で待機するのだが、この時には、家族を失った悲しみがすっかり薄らいでいた。
僕だけではない。
遺族全員が、簡単なつまみを食べながら、すっかり談笑して売る。
文字通り、笑顔が浮かんでいる。
遺体が焼かれ、死者の姿かたちが消えてしまったことで、精神的に踏ん切りがついたのだろう。
あの時の悲しみは、折に触れ思い出す。
その後の肉親との別れでも、同じような悲しみを思った。
決して忘れ去ることはない。
しかしその全ての悲しみを、自分なりに乗り越えた。
人間はいつまでも、悲しみに浸っているわけにはいかない。
そして人間には、悲しみを忘れ、乗り越える能力が備わっている。
葬儀は肉親を失った遺族が、その悲しみを乗り越えるために、悲しさに区切りをつける儀式ではないだろうか。
僕は「熱心な無宗教徒であり、敬虔な無神論者」だと自称している。
神の存在や霊界など、端から信じてはいない。
そんなオトコだから、死者は天国に召されるか、あるいは地獄に落とされるなど思ってもいない。
僕も死んだら、先に死んだ家族と会えるなども、信じていない。
そんな考えなら、死者との別れの儀式も必要はないし、ただ火葬場で遺体を焼けばそれで終わりと割切ることも可能なはずだ。
しかし僕は、肉親の葬儀を取り行うことで、心が救われた。
僕には、悲しみを忘れるための儀式として、葬儀は重要だった。
残った家族と関係者が集まり、死者を悼む儀式を執り行うことは、悲しみから再び歩き始めるための、古来から伝わる知恵だろう。