早いモノで、今年もまた、年賀状のシーズンになった。
昔の年賀状書きは大仕事で、二~三日かけて仕上げるのが普通だった。
しかも僕は悪筆なので、どれほど時間をかけても、一度として満足のいく年賀状を書いたことがなかった。
そのうちにワープロが出現し、パソコン時代になると、宛名書きソフトと言う便利なモノが売り出された。
更に年賀状の裏面もまた、毎年、数々の年賀状ソフトが販売される。
それ以降の僕の年賀状書きの悩みは、本屋でどのソフトを購入するかになっている。
受け取る方の年賀状もまた、殆どがパソコンソフトで仕上げたものとなっている。
お互いの労力は簡素化されたが、その分、情緒はゼロだ。
そんな訳で、年賀状の手間暇がなくなり、楽勝になると、今度は手書き年賀状へのノスタルジャーが募ってくる。
人間は、実に勝手で贅沢な生き物だ。
そもそも虚礼廃止が叫ばれる時代なのに、何故、年賀状のやり取りを続けるのだろう。
そんな疑問に対して、「年賀状には一年に一度、自分が元気でいることを友人知己に報告する機能があるから」と言う人がいた。
僕は、こんな善意の見解には懐疑的だ。
年賀状の存在意義はただ一つ、郵政省、現在の郵政事業庁の収益のためと思っている。
ついでに言えば、お年玉付き年賀葉書で景品が当たっても、殆どが貰い忘れるか、あるいは意図的に放棄してしまう。
この面でも、郵便局関連の連中には、濡れ手で粟のボロ儲け事業なのだ。
よって毎年、暮が近づくと、テレビで頻繁に年賀状のコマーシャルが流されるし、郵便局もあの手この手で売り込みをかける。
そんなことから、年賀状は不要との考えも根強い。
僕は、年賀状については、毎年変わりもせず、
・昨年中はお世話になりました。
・何とか無事で健康的な生活を送っています。
・今年も健康に留意して頑張ります。
・今後共ご指導ご鞭撻をよろしく
みたいな文言を書き連ねてきたが、昨年半ばに心臓疾患が見つかった。
入院、手術も経験したので、「元気です」の紋切り型文章が使えなくなり、やや深刻な現状報告になってしまった。
そこでついでのように、最後に「今年を以て年賀状をご辞退します」と書き添えた。
そのせいで、今年は昨年度に比べ、それまで出していた年賀状の八割が減った。
年賀状は、日本の古き良き伝統と考える人は、どんどん減っている。
そもそも郵便での情報交換よりも、メールやラインを使う若者が増えている。
そのいずれにも、手書きの温かさはない。
むしろ、絵文字や英語の略語の方が、主力になっている。
これも時代の流れだ。
と昨年、年賀状辞退の連絡をしたことを勝手に合理化しているが、果たして世間はどう評価するのだろう。
来年の正月に、どれほど年賀状が来るのかが、その評価の一つのメルクマールになる。