昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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今年も年賀状

年末恒例の行事だが、昔なら「年賀状を書く」と言ったが、最近では「年賀状を印刷する」との表現が正しい気がする。

宛名書きは住所録ソフトに保存、当方は「筆ぐるめ」を利用。
裏書きは毎年、年賀状ソフトを買い込み、適当なヤツを選ぶだけ。
後は印刷ボタンをクリックすれば、事が済む。
流石に、お世話になった人には短いコメントを追加するが、10年前なら何日もかけて仕上げた大作業も、半日程度で終わってしまう。
貰う方の年賀状も大半がワープロ仕様なので、年賀状を通じたやり取りの有り難みは著しく小さくなった。

習字の練習をしている家人は、今年はその成果を試すべく、自筆で年賀状を認めていた。
鼻歌交じりで、年賀状の出来上がりを待つ当方に対して、「まるで誠意がない」と皮肉を浴びせかける。
しかし、ただでさえ面倒くさがりの性格に加え、生来の悪筆なので、寝ころんで放っておいても着々と出来上がる、最近の年賀状作成システムは捨て難い魅力がある。

そもそも、そんな年賀状に意味があるのだろうか?
年賀状は昔から「虚礼廃止」の代表みたいに見られてきたはずだ。
しかし、「お年玉」付きなんて小賢しい知恵の効果が絶大で、正月1日最初の仕事は年賀状のチェックになっている。
この辺は、郵政省の陰謀が大成功で、売上げ増にかなり寄与しているはずだ。
尤も年賀状のお年玉たって、切手シート以外に当たった事がないが。

年賀状のやり取りは、自分の無事を伝え、相手の一年の幸福を祈念する意味合いが強い。
当然、仕事で現役の方が挨拶するべき対象も多いはずだが、最近では、「正月明けに会社で年始の挨拶をする社員同士の年賀状のやり取りは不要」との風潮が強まり、昔に比べるとかなり枚数が減った。
今回印刷したのは80枚強なので、往時に比べれば半分以下になった。

年賀状で難しいのは、出す相手選び。
「この人はもういいや」と思っていると、正月には向こうから年賀状が届き、慌てて返信する事になる。
お互いにこんな事を繰り返して、なかなかやめるタイミングがつかめない。
マァ、出費たって大した金額でもないので。「こんなもので義理が果たせるのなら」と思っている人が多いような気がする。

当方は、仕事を辞めた後の年賀状は、本当にお付き合いをする人だけに限定する積りだ。
それまでは、年賀状ソフトに頼り切って、年始挨拶の義理を果たす事になる。