昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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一年の新たな門出、正月の過ごし方

昔は、正月が待ち遠しかった。

だが、正月は冥土の旅の一里塚、愛でたくもあり愛でなくもなし!

そんなことを思う歳になった。

だから単純に、正月を喜ぶ気持ちにならない。

数え年ではないので、正月に一気に一歳分、歳をとるのではないが、それでも大晦日と正月の間には、大きな壁を超えた感覚がある。

 

実は、今年の「明けましておめでとう」の瞬間は、布団の中で全くの白河夜船状態だった。

そこに突然、ゴ~ンと除夜の鐘が鳴りだし、眼が覚めてしまった。

昨年も同じ状態だったはずだが、目を覚ますことはなかった。

どんどん眠りが、浅くなっているからだろう。

 

目が覚めた瞬間「こんな深夜に、近所迷惑な」との思いがよぎった。

除夜の鐘については昨年初っ端に「伝統か騒音か」が問題になった。

その時の僕は、「もちろん、伝統に決まっている!」だった。

日本の古式床しき除夜も鐘を聞く習慣を、騒音で五月蝿いなんて言うヤツは、ヒダリ巻きの反日野郎に違いない。

と、大変機嫌が悪かったが、それが自分が寝入りばなを起こされると、途端に「ウルサイなぁ」になる。

我ながら、誠にいい加減なものだ。

 

ゴ~ン、ゴ~ンと鐘の音が、深夜の町中に響き渡っているのを、聞くともなく聞いているうちに、十数回までは覚えているが、そのまままた寝入ってしまっていた。

鐘の音は、決して騒音ではない。

何度か聞いて慣れてくると、むしろ心地良い音なのが分かる。

 

いよいよ正月の活動開始は、早朝6時半に起床して、朝風呂から。

身を清めて正月を迎えるのは、日本男子の本懐だ。

朝食は、おせち料理

昔は主婦が数日間を掛けて準備したモノだが、最近は有名デパート自慢の誂えモノを購入する。

これが実にバランスよく配置され、且つ味も美味い。

 

その後は夫婦で、近所の神社に初詣。

今年の神社は、手を清める手水も閉鎖、鐘を鳴らす釣り紐も禁止。

全て、他人との接触を極力避ける、武漢肺炎対策のためだ。

ジャラジャラと鐘を鳴らさないと、初詣の雰囲気が半減する。

それでもここで、例年の如く賽銭箱に大枚100円を投入し、その後あらゆる願い事をブツブツと唱える。

神様も「こんな安いカネで、こんなにたくさんのことをお願いされても聞いてられない」ようで、毎年なかなか希望がかなわない。

毎年初詣に出かけ、その都度100円もの多額お賽銭を上げているにも拘らず、全くお返しなし状態が続いている。

 

帰宅すると、年賀状が届いている。

一昨年に心臓病で入院して以降、人生観に変化が生じ、年賀状を辞退することにした。

それでも、十数枚の年賀状が届く。

これには、できるだけメールで、その日のうちに返信する。

 

我が家の数年来の最大変化は、地上波テレビを見なくなったことだ。

昔の正月番組は、漫才師がバカ騒ぎするだけで全然面白くなかった。

スポーツ関連のサッカー、ラグビー、駅伝の実況中継なら、まだ見る価値ありだが、バラエティは悉くカス番組ばかり。

年末の紅白歌合戦同様、すっかり嫌になっている。

そんなわけで、WOWWOWの映画や、YouTubeのお気に入りを見て過ごす。

 

正月の風景も一変し、国旗を掲揚している家はほぼゼロ。

外に出かける機会も少なく、近所同士で挨拶することもない。

静かに家で過ごし、何事もないまま、正月一日を終える。

それだけ、正月が特別な一日ではなくなった。

 

考えれば、正月と言えども、一年365日の中の一日に過ぎない。

因みに欧米では、正月よりもクリスマスを重要視する。

しかしそれでも日本では、正月を大事に思っている。

「一年の計は元旦にあり」と、何事にもけじめをつける、日本人の感覚にピッタリの日なのだ。

 

日本人なら、何がなくとも正月を祝おう。

新たな気持ちになり、昨日の大晦日よりも少しでも賢くなったと思う点があれば、それが自分の成長だ。