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橋下徹と百田尚樹の口喧嘩

橋下徹百田尚樹は、両者とも、思想的には右寄りと思われている。

橋下は日本維新の党の生みの親だし、一時期の百田は、関西の維新を応援していた。

よって、共通項が多いと思われていたが、ここに来て仲違いしたようだ。

 

直接の発端は、橋下が百田のフォローを外したと、Twitterで公表したことだ。

僕は、考えが方が違ってもきちんと議論できる人は大歓迎だし、むしろ違う意見をどんどんぶつけて欲しい。しかし、百田氏のように相手を侮辱する人やハッキリ言わないジメジメした人は嫌いだ。僕の中の日本人像と真逆だ。

 

百田はいかにも未練気に、且つ残念そうに、「橋下は好きだったのに」と返した。

橋下氏がフォローを外してきた。ま、嫌いな人間なら仕方ないな

私は氏を嫌いじゃないし、むしろ尊敬していたんだが…。 私は人を侮辱するところはあるが、ハッキリ言わないジメジメした人ではないと思ってるんだが。いや、そうでもないか

「僕の思う日本人像ではない」とは前にも言われたなあ。

 

これには後日談があり、橋下は百田と仲の良い有本香のフォローも外したらしい。

百田が·

Jan 15

私はかつて橋下徹氏の発言を聞いて、大いにうなづくものが多かった。その代わり、その発言はメディアにはめちゃくちゃ叩かれた。 最近の橋下氏の発言には首を傾げるものが多い。その代わり、その発言はメディアにはまったく叩かれなくなった

と書くと、橋下は、腹の虫がおさまらないようで、百田に対してその後のツイートでも、捨て台詞に近い表現を繰り返している。

Jan 16

メディアが僕を叩かなくなったのは、僕に叩くだけの価値がなくなったということ。一民間人の戯言にメディアは一々付き合わない。かつては権力者としてチェックの対象だっただけ。僕の考え方は当初より一貫しているつもり。ゆえに百田氏の当初の評価が間違っていただけ。最初から合わなかったんだろう。

 

僕の考えが絶対に正しいわけではない。同じく百田氏の考えが絶対に正しいわけでもない。こういうときは、分かりにくい嫌味を相手にぶつけるのではなく、堂々と自分の具体的な意見をぶつけるべき。百田氏がいつもやる相手を侮辱するやり方ではなく。

そしてとどのつまりの、橋下が放った皮肉な一発が、

いっぺん選挙でも出て見れば?

 

だが、ここまで言うとガキの喧嘩で、さっそく有本から

私は多くの政治家と話す機会がありズケズケ言うこともあるが、「じゃあお前やってみろ」などと言う人には会ったことがない。内心でどうかは別にして。私のような取材者、百田さんのような文化人にそんなことを言うのは、言論の自由、批判する自由を封じる行為。言ったらオシマイだとわかっているから。

と切り返された。

有本もまた百田同様に、橋下の言論には批判的だ。

 

橋下対百田、有本は、靖国神社の戦犯分祀を巡って激論を交わしていた。

更に議論は、女系天皇の是非にも飛び火し、お互いを批判する事態となっていた。

ただそれは、あくまで拠って立つ思想基盤の違いからの論争の範囲で、世間によくある、右と左の罵り合いではない。

若干、百田の論調に揶揄めいた部分があったとしても、橋下が敢えて論うレベルではなかったはずだ。

 

ネット社会の常で、両方に熱烈な応援団が付いている。

彼らは、橋下派百田派に分かれ、お互いの親分を褒めちぎり、相手を貶し合っている。

客観的に見て、橋下対百田の論争では、橋下は劣勢だった。

百田に比べて、勉強不足が露呈していたし、主張にぶれもあったが、野人、百田に対して、選挙至上主義のエリート、橋下は、簡単に負けを認める心境にはなれない。

それが、憎まれ口を叩くような行為になっている。

 

しかし実は、一方の百田もTwitterの世界では、大して褒められたものではない。

彼は、自分に否定的な意見を悉くブロックしまくるほど、自己防衛意識が強い。

妙にしつこく絡んでくる常識無しをブロックするのなら、百田の言い分も分かる。

しかし百田は、真っ向からの批判を受け止めようとしない。

例えば彼は、自作「殉愛」を巡る名誉棄損裁判で、最高裁で最終的に敗訴している。

そこを質問されたり、疑問を呈されると、条件反射のようにブロックしてしまうのだ。

百田は、少なくとも作家として、あるいは評論家として、マスコミ媒体を通じて、それなりの能書きを垂れているオトコだ。

当然ながら、彼の言動や主張には賛否両論が入り乱れるはずだし、その中の批判的な意見に対しては、見解を述べるべき立場だろう。

しかしそこで、嫌な意見を退けてしまうのは、日頃は国を憂うる意見の持ち主、百田にしては情けないではないか。

 

僕は、橋下と百田の論争に関しでは、百田に近い考えだ。

一見理路整然としているかに見える橋下の主張は、韓国や同和問題が絡むと、途端におかしくなる。

右翼として首尾一貫している百田に、その矛盾点を突かれると、瞬時に感情的になる。

しかしその百田も、あれほどの人気作家ながら、批判されると気の小ささを露呈するのが残念だ。