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共産党志位委員長の長期政権から見えるもの

日本共産党大会で、志位和夫が委員長に再選された。

正式には日本共産党中央委員会幹部会委員長だが、何であれ20年の長期政権になる。

尤もこの間、一度たりとも委員長選挙があったわけではない。

そもそも最初から、不破哲三や党幹部からの指名で選ばれたエリート幹部で、他に競争相手などいなかった。

そこから20年間、全く無投票、無競争で選ばれ続けたことになる。

日頃は政府自民党や安倍政権に対して、口汚く長期政権の弊害を罵っているのに、記者会見で自分の長期政権を指摘されると、志位はさすがにしどろもどろだった。

 

これは別に、日本共産党に特異な現象ではない。

共産主義国家が存在したころは、世界中で当たり前に起きていたことだ。

共産主義国家でリーダーが変わるのは、内部権力闘争のクーデターの結果だけであり、それまでのトップは、政変の時点で間違いなく殺されていた。

共産主義国家は共産党独裁なのだが、厳密に言えば、その時の代表者の独裁であり、政敵の存在や一切の批判が許されないのだ。

 

そもそも、共産主義は民主主義を否定している。

共産主義は、資本主義は矛盾に満ちた体制であり、唯一、社会主義を経過した共産主義だけが、その矛盾を解決できるとの基本的思想に立っている。

共産主義者が頻繁に使う、「歴史の歯車」論がそれで、その歯車を正しく前に回しているのが共産主義者で、逆に回すのが反革命分子との見立てだ。

反革命分子は、歴史を逆回転させるのだから、これを許してはいけない。

更に進んで、反革命分子を許せば革命を妨げ、その後の支配体制に禍根を残すので、積極的に殲滅しなければならないと、反革命排除の論理純化していく。

共産主義者たちが、自分たちの反対勢力に情け容赦ない暴力を用いるのは、このような理論的裏付けからで、これは沖縄辺野古埋め立て反対闘争でも頻発している。

 

民主主義はこうではない。

あくまで多数決に従い、多数派の意見を遂行していく制度だが、一方では、常に選挙で政治体制を変えることができる。

選挙で代表者を決定ずる選択こそが、国民の最大の意思表示になっている。

その為に、民意を失うと政権を維持できないし、自らの政策も実現できない。

 

民主主義と共産主義は、決定的に且つ根本的に違う制度なのだ。

だから共産主義を奉じる共産党が、「民主主義云々」と御託を並べるのは噴飯モノで、実は天に唾しているのと同じことだ。

共産主義者共産党も、「民主主義云々」は選挙対策用で、実は共産主義を覆い隠す隠れ蓑に過ぎないことは十分承知している。

そもそ日本共産党は当初、暴力革命を目指し、火炎瓶闘争などを展開した。

 

マルクスはドイツでの革命を夢見ていたが、初めて共産主義国家が生まれたのは遥か発展途上国帝政ロシアだった。

毛沢東は、「銃口から権力が生まれる」との暴力路線で中国革命を成功させたが、これも実際は農奴解放運動に近い。

しかし先進諸国では、共産主義革命が成功した例がない。

そこで日本共産党は暴力革命を諦め、議会で多数派を握る平和革命路線に切り替えた。

しかし万一にでも、議会で共産党が多数派になれば、衣の下の鎧は共産主義革命なのだから、共産党支配が現実になり、違う意見は暴力を使ってでも徹底的に排除される。

 

志位和夫が、20年に亘って共産党委員長を続ける体制は異常だが、それこそが共産党の体質そのものなのだ。

志位和夫だけでなく、その前任、不破哲三、宮本顕二など、委員長選挙など一度として行われないことへの、日本共産党員やそのシンパからは一切の疑問も不満もない。

これは実質的に、洗脳状態の宗徒と一緒だ。

共産党員は、共産主義と言う宗教を盲信しているので、仮に選挙で自分たちが有利な状況になった場合は、その後に何をしでかすか分からない。

 

だから、共産主義者が一見平和主義を装う些細な日常活動にも、民主主義陣営は全神経を配っているべきなのだ。

共産主義は、民主主義とは全く相いれない全体主義だ。