長年ブログをやっていると、いろんな考え方の人と知り合う。
僕は、基本的に中道路線と自称しているが、他人様からは右寄りと評される。
ヒダリ巻きに程遠いのは間違いないから、そう見えるのかもしれない。
当然ながら、仲よく語り合うのは、似通った考え方の人たちだ。
しかし稀にだが、とんでもなく意見の違う人と交流したこともある。
一人は、何と共産党員だった。
僕はブログ上で、時として、自民党政権のやり方を批判することがある。
たまたま、そんな時に意見が一致したのだろう。
熱烈な賛同コメントがあり、最初は共産党員とは分からずに、しばらくブログ上のやり取りが続いた。
しかしすぐに、お互いの衣の下の鎧が見えてくる。
共産党員と僕が、長く意見の一致を見るはずがない。
彼の友達もまた、全員がゴリゴリの共産党員ばかりで、コメントの数々にも辟易した。
お互いの意見の違いが分かると、そんな共産党的主張を読むだけで苦痛になる。
間もなく、音信不通になった。
もう一人は、後に彼がアップした写真で近所の住人と判明したが、創価学会員だった。
数年前まではバリバリの学会活動家だったらしいが、どういう訳か、この人が僕のブログ記事に興味を持った。
こちらは、彼の孫自慢やカラオケ自慢までは話が弾んだが、公明党が時の東京都知事、小池百合子を支持した時点で、完全に意見が分かれた。
僕は小池百合子を、民主党時代の菅直人に匹敵する悪辣悪質な政治家と信じていたが、彼は「あれほど都民に人気のある都知事を応援するのは公明党の勤め」と言い訳した。
さすがに、平然とこんなご都合主義を言い募る人とは仲良くできない。
「小池は詐欺師!」と強硬に批判したら、それっきりになってしまった。
事程左様に、思想信条の違う人と仲良くお付き合いするのは至難の業だ。
それは、心の奥底で、その人を信用できないからだと思う。
例えば、韓国が大嫌いな僕にとっては、韓国の事情を優先して考えるような人は、危険人物にしか見えない。
逆に向こうから見ても、韓国嫌いを公言するような輩は軽蔑の対象でしかないだろう。
宗教も然りで、創価学会の神様、仏様を熱心に信仰している人は、池田大作の悪口を言うような人物を許すはずがない。
結局は、時間の経過と共に、疎遠になってしまう。
ではその思想信条は、どうやって形成されたのか?
それは各々の、それまでの人生経験に拠るところが大きい。
家族、知人の影響や、それまでの勉強の内容などから、個人の思想は形成される。
そんな過程で人格が出来上がると、自分と違う考えの人とは、議論を通じて仲良くなることもないわけではないが、通常は敵対し、離反していく。
考え方の違う人と共存するのは、かなりストレスがかかるからだ。
短い期間でも、共産党員や創価学会員との付き合いは、心安らぐものではなかった。
向こうだって同じだろう。
だから、君子危うきに近寄らず!
そんな連中は、別段敬う必要などもなく、ひたすら遠ざけるに限る。