昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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日本赤だみー賞の最優秀作品

日本アカデミー賞」なる、映画祭がある(らしい)。

全く興味がないので、事の推移など知らなかったが、敬愛するブログ仲間のminakoさんが、憤懣やるかたないような記事を載せていたので、その内容を知った。

https://minakosayu2019.hatenablog.com/entry/2020/03/07/223533?_ga=2.259440522.1092400740.1583486179-17968438.1554189462

 

何でも、今年の最優秀作品は「新聞記者」だったとのこと。

この作品は、上映前から物議を醸していたので、勿論見る気などゼロだが、それなりの知識はあった。

主人公は、東京新聞の「大看板記者」、望月衣塑子女史。

我々の右寄り仲間内では、望月IS子とも略される、ある意味、名物記者だ。

IS子は、菅義偉官房長官の定例記者会見で、グダグダ質問を繰り返し、その都度、官房長官から冷徹に切り返される、実に馬鹿げたシーンの主役として知られている。

元々、東京新聞は、朝日や毎日に劣るとも勝らない偏向新聞で、野球や相撲の結果報告以外の全ての記事が、反安倍、反政権に凝固まっていることで有名だ。

そんな新聞社の記者だから、IS子の姿勢は自ずとお里が知れるが、それも自分で取材したモノではなく、聞きかじりとか週刊誌ネタをベースの質問ばかりと言うから、呆れるしかない。

 

しかしこの映画「新聞記者」は、そんなIS子が、権力に立ち向かう正義の記者として描かれているらしい。

無論、悪役は菅義偉官房長官

少しでも事情知る人には、チャンチャラおかしい代物でしかないし、当事者の菅義偉官房長官にとっては、「オイオイ、いい加減にしろ」と眉を顰めるに違いない。

 

今回の「新聞記者」の日本アカデミー最優秀作品賞で、サヨク界隈は大喜びのようだ。

どこぞの誰かが、「アァ目出度い、愛でたい」と論評していたが、その中に、「内容がヒダリに偏っているとの批判があるかもしれないが」との文言があった。

この評論家によると、日本アカデミーは思想云々で受賞作を決めているのではなく、その証拠に、数年前には「永遠のゼロ」が受賞していると主張していた。

右寄り作品の「永遠のゼロ」も受賞するのだから、「新聞記者」が受賞したのは、作品の素晴らしさ故だとでも言いたいのだろう。

 

敢えて反批判するのも大人気ないが、「永遠のゼロ」は、ヒダリ巻き連中から蛇蝎の如く嫌われている百田尚樹の作品なだけで、基本は戦争反対のフィクションだ。

あたかもノンフィクションを装いながら、虚偽情報で政権を批判している「新聞記者」とは全く違う。

 

実は、そんなことはどうでもいい。

わざわざ「日本」の冠をつけて、日本アカデミーと言うほどだから、アメリカの本家本元、アカデミーのパクリで、映画賞としては亜流でしかない。

日本の映画人が、勝手に自分たちに権威付けしたいので、アカデミーを騙っているだけなので、日本の業界人以外には、何の価値もないモノだ。

だから、日本人の主演女優が出演を辞退して、韓国人に代わったような作品が、主演女優賞や最優秀作品賞を取ることになる。

アカデミーではなく、「赤だみー」と揶揄される程度の、無意味なマイナー映画祭だ。

 

「新聞記者」が日本アカデミー最優秀作品賞を受賞したと喜ぶのは、日本サヨクだけ。

国会でのサボり戦術も、モリカケや桜攻撃も空振りだし、選挙をやれば圧敗続き。

袋小路に落ち込んでいる日本のサヨクにとっては、久しぶりの朗報かもしれないが、政権の恥部を暴いた積りで喜んでも、それはサヨク世界だけの自慰評価でしかない。

サヨクが喜べば喜ぶほど、そのうちに冷静になれば、自分たちの虚しさが募る。

今回の日本アカデミー賞騒ぎは、そんな程度の低い噴飯モノだ。

カワイソウなサヨク