3月28日は、母親の40年目の命日だ。
母は69歳と8日目に、脳腫瘍で死んだ。
当時の平均寿命でも、早死の方だった。
母にとっては、生まれて初めての入院だったが、発病してわずか三か月後に、あっけなくこの世を去った。
僕はある地方都市に住んでいたが、兄から「オフクロガ死んだ」と訃報連絡があっても「どこのオフクロ?」と聞き返したほど、最初は何が起きたか理解できなかった、
検査後に、医者から余命三か月、手術をしても半年と宣告された。
家族は「どうせダメなら本人に辛い手術は避けたい」と願ったが、医者が「しかし手術で寿命が延びたはずの三か月で、劇的な薬が開発されたら後悔しますよ」と脅した。
そこまで言われると、それでも手術を嫌だとは言いにくい。
しぶしぶ手術に同意したが、結果は半年どころか、三か月で逝去してしまった。
病院から「医学発展のために献体して欲しい」と依頼されたが、医者に不信感を持っていた父は、「オマエらのようなヤブ医者に、大事な妻の遺体を渡せるか」と拒否した。
後に父は、「献体するべきだったのか、自分の判断は間違ったのか?」と自責の念に駆られたが、家族は全員、父の判断を強く支持した。
実は僕にとって、家族と別れる経験は、母の死が最初だった。
この時は、世の中にこんなに悲しいことがあるのかと思うほど、嘆き悲しんだ。
しかし、火葬場で母親の遺体を焼く煙を見た時、そんな哀しみが煙と一緒に空に昇っていくような錯覚を覚えた。
当時の火葬は、煙突から煙が立ち上るような、牧歌的なものだった。
僕はこの時、人間には悲しさや苦しさを忘れる能力が備わっていると確信した。
家族を失うような辛い悲しみを、忘れずに覚え続けていたら、その後どうやって生きていくのか分からなくなる。
しかし、そんな悲しみを忘れることで、新しい人生に挑戦できる。
無論、母や家族のことを忘れることはない。
折に触れ、今は亡き両親や家族の思い出が蘇るし、両親からの教えはしっかりと記憶に残っている。
しかし、生きていくためには、何時までも悲しんではいられないのだ。
人間は生まれながらに、どんなに悲しいことでも忘れ去り、そこから立ち直る能力を与えられている。
「敬虔な無神論者」の僕が言うのもおかしいが、それは神様の思し召しだろう。
母の死後、五年で父が、その後、姉二人も逝去して、七人だった我が家族は、今やオトコ兄弟三人が残るだけとなった。
今年の正月にもお互いに連絡をとり、「残った三人で協力して、仲よく生きていこう」と誓い合った。
死は、何人たりとも避けられない。
結婚で新たな家族となった妻の実家も、両親共に逝去した。
こちらは、義父はほぼ90歳、義母はほぼ100歳と長寿を全うした方だが、それでもやはり両親が死んだ時の空虚な思いは変わらない。
しかし例え、死によって別れ別れになっても、家族として共有した経験や思い出は、いつも心に残っている。
家族のつながりは、生活を共有するだけではなく、心を共有することであり、それは肉体が消滅しても永遠に残り続ける。