昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

リコール不正疑惑の個人的検証

YAHOOニュースで、高須克弥がTBSサンデーモーニング報道内容に抗議したと報道され、丸一日でコメントが4千を遥かに超えた。

そしてその全部が、高須を批判している。

愛知県では大人気者のはずの高須なので、いくら何でも、高須支持者がゼロと言うことはないだろう。

そう思ってコメント欄を読むが、全員が、本当に一人残らず、異口同音に高須を批判しているのだ。

今回のリコール運動を通じて、愛知県民が高須に対して、強い疑念を持っていることが分かる。

 

二週間前は、こうではなかった。

リコールの会事務局には疑惑が多々あるが、高須は何も知らされていない、むしろ被害者の立場。

だから、高須が不正の実態を解明し、事実を説明してくれるはず。

と、そんな期待感すらあった。

それが今や、高須自身が不正を働いた、若しくは不正署名の必要資金を出した張本人ではないかとまで疑われている。

 

高須にとって逆風は、佐賀県の不正署名への関与疑惑だけではない。

リコール運動の最中に、事務所に盗聴器が仕掛けられたと騒ぎになったり、高須の車のタイヤのボルトが、通常では絶対にあり得ない状態で一本欠落していたことも話題になった。

いずれもテレビ出演した時に高須自身が、リコール反対派の悪質な妨害工作として紹介した。

ところがボランティアの一人が、これはリコール運動の関心を高めるための狂言だったと内部告発した。

 

また集まったリコール票43万筆の中の不正票が指摘された時、高須は不正ではなく無効票だと主張した。

選管の規定が厳し過ぎて、ハイフン一つで無効になるために、元より50%から80%の無効票は織り込み済みだったとも言った。

不正署名の存在を主張したボランティアを訴え、大村知事側のスパイが暗躍しているとも説明した。

止めの集団不正署名については、一切与り知らないことで、自分こそ被害者とも言った。

「僕は不正が嫌いだ」とか「逃げも隠れもしない」と言う割には、言い訳が支離滅裂なのだ。

 

内部で聞き取りさえすれば、簡単に分かるはずの寄付金使用状況についても、何一つ公表しない。

高須がTBSサンデーモーニングに「法廷で決着」を示唆した件も、コメントでは「また得意の訴訟騒ぎか」と否定的意見ばかりだ。

「テレビにはスポンサーとして圧力を加え、一般庶民にはスラップ訴訟で脅すのが高須の常套手段」と、実に手厳しい。

 

確かに、特に佐賀県で大量アルバイトを雇い、リコール票を偽造した疑惑は深刻だ。

約10日間に亘って、時給950円でおよそ200人のアルバイトを雇って、不正署名を実行している。

しかも、リコールの会事務局からの注文書の存在まで判明している。

 

この資金は、誰がどう支払っているのか?

これが事務局に集まった、寄付金とクラウドファンディングからなら、高須は責任者としての管理責任が問われる。

もしも高須個人のポケットマネーからなら、高須は逮捕されるかも知れないほどの、違反行為を行ったことになる。

 

またアルバイトたちに与えられた役割は、選挙人名簿をリコール用紙に書き写す作業だったことも明らかになった。

選挙人名簿のような個人情報が、なぜリコールの会に流出したのか?

この個人情報の悪用もまた、罪に問われることになる。

 

コメント欄を読むと、各々の人はこの事件を勝手に推理している。

その中で、比較的納得できるのは

・リコール票が全然集まらなかった(ボランティア証言)

・実際に目標百万筆に対して、最終的正票は7万筆しかない

・これでは世間的に、リコールは大失敗だったことになる

・いずれにしても、知事リコール実現は無理

・リコール失敗時には、投票用紙は全部返却される

・不正票を提出しても、リコール失敗ならチェックされない

・だから不正票を速やかに取戻し、処分すればバレない

との思考プロセスで、不正書換えに手を染めたとの見方だ。

これなら、高須が終戦宣言と同時に、個人情報保護のためにリコール票返却を要求したことと辻褄が合う。

 

組織的不正が行われたのは事実なので、後は実行指示者の特定と責任の取り方が問題となる。

リコール不正は選挙違反と全く同様の犯罪なので、刑事告発された以上、司直の解明が始まる。

いずれにしても、民主主義の根幹を揺るがす、前代未聞の大事件だ。

 

高須克弥は、愛知県民だけでなく、日本中に多くのファンがいた。

しかし22日の記者会見も、今までの「僕は知らない」「僕が不正をするわけがない」を繰り返すだけ。

「不正のカラクリが分かってきたので。近々公開する」とツイートしていた割には、全く説得力のある説明がない。

それだけに、高須の晩節が穢れないことを願うばかりだ。