相撲協会の内部事情を、当時の当事者が告発するのだから、その衝撃は凄まじい。
特に、利権に群がる親方衆だけでなく、その昔から現在まで、八百長で星のやり取りをしてきた力士の実名を公表している。
しかもその中に、現在の相撲協会理事長、八角親方を名指しした。
またその昔、八百長相撲が問題になった時、ガチンコ力士だから理事長になった放駒親方(魁傑)も、八百長力士だったことも暴露した。
下手をすれば、名誉棄損の裁判モノだ。
息子三人が相撲協会所属の現役力士なのに、親父はこんな反相撲協会のYouTubeをほぼ連日アップする。
貴闘力は、様々問題のある相撲協会の中で、八百長こそ最大の悪習なので、この根絶なくしては協会の健全化はないとの意見だ。
自らも現役時代に、井筒部屋関係者から八百長を持ち掛けられたが断ったとも証言していた。
実体験に基づく生々しい証言だけに、真実味がある。
また一時、世間を大騒ぎさせた貴乃花の反乱も、元を質せば八百長が蔓延る相撲協会を改革したかったことが原因とも話している。
そして八百長撲滅の主張は、多くの国民の声でもある。
相撲ファンは、真剣勝負が楽しみなのに、それが仕組まれていては興味半減どころか、相撲そのものに興味がなくなる。
八百長は、絶対に許すことはできない!
それはまさしく正論で、全く反論の余地はない。
僕は昔から相撲が大好きで、ほとんど見ない地上波テレビの中でも、相撲放送は楽しみにしている。
もしもそこで、実は最初から裏で勝敗が決まっている取組みが放送されているのなら、それは由々しき事態だ。
現役時代ガチンコ相撲を通した貴闘力が、八百長撲滅を力説するのも分からないではない。
しかしひねくれ者の僕は、果たして八百長なしで、力士の体は大丈夫なのかが気になる。
八百長を撲滅したいのなら、今の大相撲のシステム全部を、根本から変えてしまわないといけないと思うからだ。
そもそも大相撲は、力士が優勝を争う単純明快な勝負事の半面、日本古来の伝統興業の色彩も強い。
力士は、単に太ったアスリートだけでなく、古式床しき日本の伝統を演じる表現者でもある。
土俵入り、土俵への塩撒き、仕切りの繰り返し、礼に始まり礼に終わる力士のしぐさ、弓取り式等、相撲の礼儀作法や様式は、神道精神に基づいている。
そして力士は、八百万の神から遣わされた、神の化身でもある。
それは、歌舞伎や能にも通じるモノで、だからこそ日本人だけでなく、多くの外国人が相撲の所作振る舞いに興味津々になる。
だから力士同士は、勝負を争うライバルだけでなく、同時に舞台を盛り上げる共演者の関係でもある。
しかも今の大相撲は、あれだけ肉体を酷使するスポーツなのに、年六場所も開催されている。
だからもしも怪我でもしたら、それを治すための時間がない。
ちょっと前までは公傷制度があったが、今の休場は負けと同じ扱いで、即番付が下がってしまう。
江戸時代なら「一年を二十日で過ごすいい男」だったのに、今では年中無休のブラック企業の労働者並みだ。
それなのに八百長禁止で、全てが真剣勝負となると、体が持たない。
また大相撲には、巡業がつきものだ。
これは基本的に全力士を半分ずつに分け、全国を回って相撲の普及に努めると共に、協会や親方が小遣いや小銭を稼ぐための制度だ。
この時の力士たちは、部屋単位ではなく、あくまで興行グループとして団体で行動している。
当然ながら二週間に及ぶその巡業の過程で、気心が知れ、同じ釜の飯を食った仲間としての連帯感が生まれる。
それなのに本場所で、情け容赦ない勝負をやれと強制しても、なかなか鬼になれない場面もあるだろう。
要するに、今の相撲を興行面から見れば、八百長の根絶は難しい。
具体的対策としては、先ずは力士の健康を最優先するために、年六場所開催を、出来れば二回、最大でも三回開催にまで削減することだ。
また、仲間意識が強くなる相撲協会主催の巡業を、部屋単位に切り替え、ライバル同士の接触をなくすことも必須だ。
しかし相撲協会にとっては、収益激減に直結する大変更になる。
いくら改革の必要性を声高に叫んでも、実際には誰も手を付けない。
それならば、八百長は必要悪と割り切り、見て見ぬ振りをする「大人の対応」に終始する方が現実的だ。
そんな思いから、僕は八百長には極めて寛容だ。
八百長を前提として、それでも相撲を楽しむことにしている。