昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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アイフル業務停止!

アイフル金融庁から全店業務停止の命令を受けた。
違法行為が相次ぎ、特に暴力的取立てが取りざたされている。
債務者の代理人に「あなたは一部上場会社の社員でしょう」と窘められた取立人が、「一部とか三部とか、金貸しと借金取りには関係ないんだぁ!」と怒鳴りまくっていたように、この手の企業は今でこそ消費者金融などとファジーな表現だが、本質は高利貸しそのものだ。
アイフルが威圧的取立ての法律に違反しているのなら、今回の行政処分は妥当なのだろう。

しかし、消費者金融の多くは、既にどこも金を貸してくれない人にでも貸付けているのだから、その代わり何が何でも取り立てないと経営が成り立たない。
冷静に考えれば、回収の自信がなければ成り立たない業務なのだ。
金貸し業は、立派か否かは個人の主観によるが、昔から存在するれっきとした事業の一つである。
しかも消費者金融は、昔の悪名高い高利貸し業だけが事業化しているのではない。
収益率が高いので、一般の都市銀行でも関連企業などが法律の範囲内で事業運営している。

シェークスピアの小説「ヴェニスの商人」で、ユダヤ人金貸しシャイロックは、返済できなかった人物の肉を切り取るとの契約履行を迫る事によって貸付金を回収しようとするが、切り取る重さが寸分違ってもいけないとの裁判判決を受け取立てを断念するとの一見勧善懲悪ストーリーだが、よくよく考えるとシャイロックへの判決は屁理屈難癖であり、明らかに返済しなかった人間への責任追及が放棄された片手落ち裁判である。
当時のイギリスにも、金融業で成功しているユダヤ人への差別感があったと見られている。

消費者金融批判の多くは、このシェークスピアの論理に似ている。
「借金した人は困っているのだから厳しく取り立てられるのは可哀相だ」、「金貸しは悪辣だ」との認識が根底にある。何せ、金貸しにはずっと嫌われ者のイメージが付きまとっている。
この発想は、「負け組は可哀相、勝ち組は傲慢」となり、「負け組には救済が必要⇒だから貸し金を強引に取り立ててはいけない」となるのだが、しかし、借りたものを期限内に返す事が契約の本質であり、約束を破られた側が怒り心頭に達する事は本来当たり前なのである。
更に言えば、高利貸しに頼った人は、返済しない場合のリスクは織込み済みなのだが、背に腹は変えられず借金しているケースが多い。

借金した人は必ずしも全員が善人ではない。
法律に違反していたアイフルのやり方は許されるものではないが、借りた側にも借金を返済しなければならない社会的責任がある。