度重なり、失言を繰り返す久間章生防衛相。
今回は、「アメリカの原爆投下はしょうがなかった。」
その後も、「しょうがないは自分の口癖」と、心から反省しているとは思えない発言が続いている。
「ソ連が参戦してきたので、戦争終結を急ぐ必要があった。遅れると、日本の北半分はソ連に占領され、日本がドイツや朝鮮のように分割されてしまう恐れがあったので、アメリカは一気に原爆を投下してまでして戦争を終われせた。よって、しょうがない」
正しいか否かは別問題だが、この見解は、久間大臣の太平洋戦争への歴史観であり、且つアメリカが原爆投下を正当化するときの論理である。
被害者から見れば、いかなる理由があれ、原爆投下は迷惑千万であり、且つ、その後の長年にわたる苦しみを考えると、今回の発言を許せない感情となるのは理解できる。
安部首相は、「アメリカの見解を紹介しただけ」であり、閣僚として失格とは思っていないようだが、野党や被爆者が、防衛相としては久間議員は不適切であるとして、罷免を求めるのも理解できる。
分らないのは、「発言を撤回せよ」との要求だ。
大体、問題発言を撤回して、いかなる意味があるのか?
「あの発言は無かった事にしてほしい」と言ったって、発言によって傷ついた人がいたり、大きな波紋を巻き起こした事は事実であり、絶対に無かった事にはならない。
反省を表すのは、発言の撤回ではなく、むしろ自らの歴史観が閣僚としては不適切だったことを認め、防衛相の職を辞することだろう。
久間章生議員も、安部内閣で問題発言を繰り返しているのだから、サッサと防衛相を辞した方が良い。
ついでに言えば、閣僚としては不適切でも、議員としては、堂々と自分の歴史観を主張すれば良い。
閣僚は、首相によって任命されているので、その時の内閣の見解と全く違うことを主張してはいけないが、議員は、どんなに変な主張をしたとしても、選挙の結果で賛同した人が多かったから選ばれたのものだからだ。
今回の発言は大臣としては大いに問題なのだが、久間章生議員独自の戦争観ではあり、撤回する必要などまったくない。
彼への審判は、次回の選挙で、長崎県民による彼への信任か不信任かで決定される。