昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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写真家、長井健司さんとパパラッチ

ミャンマーで反政府デモを取材中に、取締りの軍関係者に射殺された長井健司さんの葬儀がしめやかに執り行われた。
一貫して、「誰もいかない所に出かけ、伝えなければならないことを伝える」姿勢で、危険地域での取材を続けた長井さんの報道姿勢には激賞の声が多い。
死後にも、カメラを掲げていたフィルムを見ても、最後の最後までジャーナリストだったのだと痛感した。
悲しみを押し殺し、関係者へ感謝の思いを伝えたご両親の言葉を聞いても、彼の人柄が偲ばれる。

一方、時を同じくして、イギリス王室を取り巻くパパラッチへの批判が強まっている。
ダイアナ元王妃の自動車事故死を巡って、過失か他殺かが再度問題になっているが、この事故の原因としても、パパラッチの存在が大きく関係している。
また、ガールフレンドと復縁したウィリアム王子をパパラッチが追い回して、イギリス王室が異例の抗議をするなど、イギリス王室とパパラッチの確執が続いている

同じカメラで被写体を求める職業で、長井さんとパパラッチでは社会的評価が全く違う。
長井さんは悲劇の人として、賞賛と尊敬を集めているが、パパラッチは嫌われ者が相場となっているようだ。

しかし、僕には両方とも同じに見えてしまう。
確かに、対象とする被写体が違う。
長井さんは、権力に抵抗する民衆や、危険がいっぱいの戦場を撮り続けていた。
一方のパパラッチは、人気者や有名人、注目を集めている人達の私生活や隠したい部分を暴露する。
だから、長井さんの業績は賞賛を浴び、パパラッチの業績は誰も評価しない。
パパラッチの方が悪趣味なのは間違いない。
しかし、いずれの被写体も安全地帯にいる我々庶民の「怖いもの見たさ」「覗き趣味」で関心が高いものだ。

嫌われ者のパパラッチを放逐するのは実に簡単で、我々が彼等の作品に関心を持たなければよい。
しかし、実は我々自身が覗き趣味の権化であり、眉をひそめつつも有名人の恥部については興味津津なのだ。

パパラッチは我々そのものの様な気がする。