昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

自然破壊を嘆く事の矛盾

昔が良かったとの思いは、自分で壊してきたものが、今になって見れば良かったと思っている感情である。
人類は、基本的に便利な生活を求め、自然に挑戦し、自然を変えてきた。
その結果、住みやすくはなったが失ったものも多い。

ほんの数十年前、少年たちが描く夢の近未来世界は、「空にロケット、地上に自動車、地下にも電車が走りまわり、目的地にいとも簡単にいく事が出来る時代になる」だったが、人類はこれを実現した。
交通の便利さは今や当たり前で、そうでなければ生活が出来ない。
しかしこの結果、都会のヒートアイランド現象を引き起こしている。
全ての道路がアスファルト舗装され、あらゆる建物にクーラーが備えられている。
地上では排気ガスをまき散らしながら無数の車が走っている。
地下には、地下鉄が縦横無尽に走っている。
大都市で自然の土を見る機会はほとんどない。
涼しさは失ったが、雨でぬかるむ道路や、ボウフラの繁殖はなくなった。

便利になって生活に余裕が出来ると、「こんなに便利じゃなくてもいい」と、今度は不自然さへの憧れが出てくる。
無駄をなくすのは大変良いことだが、人間には無駄なものが身の回りに多いほど裕福な気持ちになってしまう厄介さがある。

ゆったりしていた昔に良かった面があるのも事実だが、今の状況は我々自身がそれを捨て去り、自然を破壊してでも便利さを求めた結果だ。
そんなに昔の生活がいいのなら、単に生活水準を落とせば簡単に実現できる。
自然に生きるという事は、例えば水洗便所をやめ糞尿などを自然に戻す事であり、立派な肥料になるがその代り伝染病のリクスも発生する。
果たして、今の日本人の多くにそんな思いがあるのか極めて疑問であり、相も変わらずあくまで便利さを追求している。
「便利だが自然な生活」など出来ない相談である事を理解すべきだ。