昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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差別してはいけない……

ビジネスでは「差別化」と称して、他の商品と違う事を強調し付加価値を高めようと努力する。
よって、差別そのものは悪い事ではない。
繰り返し述べてきたが、悪いのは謂れのない理由で差別をする事であり、これは何の言い訳も出来ないほど全くよくない。
しかし、長年にわたり無意識のうちに刷り込まれたような差別を根絶するのは難しいし、何より差別している本人が自分の差別意識に全く気が付いていないケースも多い。

ずいぶん前だが、ある駅前で部落差別に反対する署名活動をしている団体がいた。
通りかかった僕に対して、「謂れのない差別に苦しんでいる人達がいます。差別反対にカンパと署名してください」と訴えてきたので、「よし、分かった」と気持ちよくペンを手にしたが……
その後の言葉に引っかかってしまった。
彼女はわざわざ、「私は、部落の人ではありませんが、彼等は苦しい生活をしているんです」と付け加えた。
何故、わざわざ自分が部落民ではない事を告げるのか?
何故、わざわざ「部落の人」と阿った様な表現をするのか?
僕は、彼女が無意識のまま「部落」を、自分とは違う世界と特別視しているのではないかと感じた。

そう言えば、北朝鮮を国籍とする人は朝鮮人のはずだが、これも「朝鮮の人達」とわざわざ回りくどい言い方をする人がいる。
アメリカ人は「アメリカの人達」とは絶対に言わない。
イタリア人もフランス人もそうだ。
しかし、朝鮮人を「朝鮮人」とは言わないのは、「チョウセンジン」のニュアンスに勝手に差別意識を感じている事でしかない。
「自分は朝鮮の人達を差別なんかしていない」と言いたいのだろうが、これもまた差別の裏返しだ。

この手の人間は、自分の深層心理に気がつかないまま、変な正義心を持っているから始末が悪い。
僕は、謂れのない差別をなくすのは、他人との違いを違いとして認め、その違いを敬う事だと思っている。
だから、自称「人権派」だの、「人間は平等だ」とわざわざ声高に叫ぶ人にはいつも違和感がある。