昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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役者稼業のゲーノージン

当方、小さい頃は、このままアイドル路線も夢ではないくらいに可愛かった!(らしい)。
小学校の学芸会では、主役が当たり前、誰ひとり疑問に思わなかった(と思う)。

尤も当時からシャイだったので、主役を張る事がとっても憂鬱で、準主役の女性が迫真の演技をするのに比べ、台詞は棒読み、顔の表情も乏しい。
役者として、遥かに見劣っているのが、幼心にも分かった。
爾来今まで、持って生まれた美貌を生かしてゲーノージンになろうと思った事はない。
多感だった高校時代に、母に「昔はイイ男だったのに、今は支那人みたい......」と、差別用語でこぼされ、結構傷ついた事も遠因になっているのかもしれないが。

しかし負け惜しみで言うのではないが、ゲーノージン、特に全く自分と違う人格を演じなければならない役者業は、実に変な仕事だと思う。
彼らは、如何に他人になりきれるかが評価の対象となる。
一種の憑依現象なのだから、狂気と紙一重だ。
更に、目の前の人に向かって演技をするわけではない。
無機質のカメラを見ながら、恰も人に話しかけるように振舞わなければならない。
普通の神経では、とてもヤッテラレナイだろう。

熊大のイモねえちゃんだった宮崎美子が、東京で役者をスタートした時最初に受けた演技指導は、満員電車の客を相手に、突然、ある役を演じる事だったらしい。
演技をする際の恥じらい、躊躇を捨て去る事が役者の第一歩。
どんな場所ででも、すぐに他人になりきる事が必要と言っていた。

当方、そんな事、いくらカネを積まれてもやる気にならない。
一体役者たちは、スーパーマンみたいな荒唐無稽な役を演じる時には、内心はどんな気持ちになっているのだろう。
まるで好きでもない人に、あるいは嫌いな人に対しても愛を囁く役なんて、普通の人なら出来っこない。
この辺は、基本的にカネで身を売る稼業と同じ。
しかも役者は、カメラに向かって、粛々と演じなければならない。

永く役者業を続けると、演技をしている間だけでなく、素に戻った時でも、本物の自分と役の上の人格がこんがらがってしまい、精神的におかしくなるだろう。
役者に破天荒な人が多いのは、決して偶然ではない。
神経が繊細な程、他人になりきる事が出来て、上手い役者との評価を得る。
役者が更なる高みを求めて、妙な精神修行を始めたり、クスリに走ってしまうのも宜なるかな

当方、正統派二枚目役者の道を捨て、平凡にサラリーマン業を見極める道を選んで正解だった。