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アメリカのフセイン征伐は正義だったの?

最近日経新聞に、元アメリカ大統領ジョージ・ブッシュの「私の履歴書」が連載されている。
今まで以上の超大物だけに、興味深い。
ただ、8年間の任期で起きた出来事が余りに世界的レベルなので、わずか一カ月で語りつくせるものではない。
勢い、かなり端折った展開になり、些か物足りない部分も多い。

ブッシュと言えば、アル・カイーダの攻撃目標になっているくらいだから、アラブとの関わりには結構スペースを割いている。
特に9・11のテロと、アラブ過激派への報復行為に関するブッシュの考えには、「やられたらやり返せ」アメリカ人気質が極めて露骨に表れている。
ブッシュパパは、アラブの中でもとりわけイラクサダム・フセインを目の敵に仕立て上げ、ついには多国籍軍を率いて湾岸戦争を引き起こした。
更にそれだけでは物足りず、息子ブッシュは「フセイン大量破壊兵器を隠している」と難癖をつけ、最終的にはフセイン政権を転覆、処刑までしてしまった。
ところが、戦後いくら大量破壊兵器を探しても見つからず、結局はブッシュ本人が「痛恨の出来事」と渋々認めたように「最初からそんなモノはなかった」事が明らかになっている。

しかし、そんな程度の反省で許されるのだろうか?
サダム・フセインは、死刑判決の後、サッサと処刑されてしまった。
ブッシュは、「フセイン政権が継続するよりも、転覆した方が世界平和の為になった」と強弁している。
また、「フセインに死刑判決を出し、且つ処刑したのは、アメリカではなくイラク新政権」と言い訳するだろう。
しかしそのイラク新政権は、アメリカの後ろ盾がなければ、直ちに政権が崩壊する程に脆い存在でしかない。
アメリカの顔色を窺う傀儡政権でしかないのだから、実際にフセインを処刑したのはアメリカのブッシュ大統領だと断定できる。

アメリカと言う国は、「平和と民主主義を守る」大義名分が成り立てば、他国へ侵略し政権転覆を企て続けてきたお節介国家なのだが、これは自分達の価値観が世界平和につながるとの勝手な思い込みがなければ成り立たない危険な考えだ。
その結果、ブッシュと多くのアメリカ国民が信じるキリスト教と、アラブ人の多くに信じられているイスラム教とは、かなり際どい関係になってしまっている。
イスラム過激派は、正規戦では絶対に勝てない程の武力差があるのだから、アメリカに対してはテロを仕掛けるしかない。
結果として、世界が平和になる事はなくなり、危うく不安定な世の中になってしまった。

これこそ、ブッシュが最も反省するべき事だろうが、彼の履歴書では「間違いもたくさん犯したが、自由を守る為だった。評価は後世に委ねる」と都合よく合理化し、逃げている。
サダム・フセインは、「クルド族を化学兵器で無差別殺害した」とか、「自国内の政敵を弾圧した」とかの悪行を並べたてられたが、同じような発展途上国の指導者は、世の中に五万といる。
彼がアメリカに葬り去られたのは、ブッシュの気に召さなかったからであり、彼の罪は結果的には無罪だった。
それでも処刑されたのは、どう考えても納得性がない。
案の定、フセインさえいなくなればうまくいくはずだったイラクは、その後混乱の極みに至っている。

今度はイギリスが中心になって、多国籍軍が今またアルジェリアカダフィ大佐に対して、ブッシュがイラクにしたのと同じ攻撃を繰り返している。
しかし欧米の価値観が、必ずしも正しいわけではない。
発展途上国を自分の思いのままに操ろうとするアメリカやイギリスは、いつまでも「自分達が正義だ」との勝手な思い込みはやめた方が良い。