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ビン・ラディン殺害を祝うと呪われる

バルセロナの旅の空、2日現地時間朝4時に目が覚めてしまった。
仕方なくCNNテレビをつけると、オバマアメリカ大統領が演説している。
タイトルは、「ビン・ラディン死亡」。
アメリカが蛇蝎の如く嫌った稀代のテロリストを、殺害したとのニュースだ。
オバマ大統領は淡々とコメントしていたが、アメリカにとっては10年来の課題を解決したかの高揚感が見えた。

今回の作戦は、逮捕が目的ではなく、最初から殺害する積りだったらしい。
卑しくも、民主主意国の盟主を持って自認するアメリカにとって、これはおかしい。
どんな悪人にも、裁判を受け、自己弁護する権利を有している。
それを、最初から問答無用の殺害目的の作戦など、大いに野蛮ではないだろうか。
また、死体を海に流したとは、さても面妖な!
アメリカは、DNA鑑定で本人に間違いないと発表しているが、死体を確保するのが普通のはず。
死体の状態が、公開できないほど損傷しているのか、はたまた別の思惑があるのか?

ビン・ラディン殺害の報を受け、大勢のアメリカ人がグラウンド・ゼロや首都ワシントンに集結。
大喜びしている(Cheer & Celebrate)との実況もあった。
気持ちは分からないでもないが、大いに違和感がある。
こんな時にどのような対応が出来るかで、その民族の成熟度がわかる。
星条旗を持って騒ぐのではなく、静かに犠牲者を痛むような態度が取れないものだろうか。

ビン・ラディンの考え方や運動の方法に賛同しているものではない。
しかし、逃亡中で且つ第一線からは引退状態とも言われたビン・ラディンだが、それでも世界中が注目していた人物だけに、やはり逮捕して裁判にかけるのが、大人のやり方だろう。
短気で負けず嫌いなアメリカ人は、憎っくき敵を殺した事に快哉を叫びたいのだろうが、元々イスラム原理主義者の跋扈にはアメリカにも一端の責任があるはず。
アメリカ人を殺せ」と叫んだビン・ラディンと、彼が殺された事を祝い事のように喜ぶアメリカ人。
両者には、さほど差があるとも思えない。

アメリカ人が喜ぶほどに、それを良しとしない勢力もまた、復讐の機会を伺う。
やられたらやり返せでは、また同じような事をイスラム原理主義者が引き起こさないとも限らない。
イスラム原理主義勢力が、「殺されたら殺す」と、報復テロ行為に走る懸念は依然として根強い。
アメリカの力による制圧作戦は、古くはキューバでもベトナムでも、最近ではイラクでもアフガニスタンでもうまく行っていない。
ビン・ラディン暗殺が、世界中の更なる混乱の序曲にならない事を切に願うばかりだ。