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イスラム国の人質事件状況悪化について

イスラム国の、日本人二人誘拐事件は、状況が悪化してきた。
湯川遥菜さんがイスラム国によって殺害されたのは、否定しがたい事実のようだ。
後藤健二さんの場合、静止画面だとか、イスラム国の公式マークがないとか、声が違うようだとか、様々な楽観的、希望的観測も述べられているが、日本国内でいくらそんな気休めを言い合っても、事態の解決には何一つ役に立たない。
このような事件の場合は、最善の結果への期待ではなく、最悪の状況をも想定して対策を立てなければならない。

今回の被害者、湯川遥菜さんが殺害された可能性が報じられた後、父親がコメントを発している。
その心中は察するに余りあるが、冷静にも、今回の混乱への謝罪から始まっている。
一方、後藤健二さんに関しては、母親が度々登場する。
息子を想う母親の気持ちは分かるが、彼女の最初の記者会見の内容は全く理解できなかった。
彼女は、会見に集まった記者たちに謝意を述べた後、唐突に「地球を大切にしなければならない。なぜ、原子力を使い地球を汚すのか全然分からない」と言い出した。
勿論、反原子力や反原発の立場に立つ事は個人の自由だが、後藤健二さんが誘拐された事とは全く無関係だ。
イスラム国が原子力を利用している訳でもなく、アメリカを始めとする西欧諸国が、イスラム国を退治する為に原爆を利用しようとしている訳でもない。
推測だが、原発を全廃しようとしない安倍晋三首相と与党政権への反発、当てこすりとしか考えようがない。
しかしその一方で、政府に対して後藤健二さんの救出への努力を求めている。
些かと言うよりも、大いに身勝手が過ぎる。

閑話休題

人質問題だが、安倍晋三のカイロでの記者会見が、今回の事件を誘発したとの批判が強い。
野党、民主党の中には、国会で安倍晋三を追及すると息巻いている議員もいるそうだ。
危機管理の面で、安倍晋三に配慮が足りなかったのは間違いないが、そもそも日本人二人が誘拐されたのは数か月前の事件だ。
イスラム国は、いずれかの時点で必ず身代金を要求してきたはずで、(既に後藤健さん宅には金銭要求があったらしい)、安倍晋三の発言はその切っ掛けになり、その時期を早めただけだ。

その上で、人質事件について言えば、悪いのは全面的にイスラム国にある。
安倍晋三を非難するのは筋違いだ。
更に日本では、その昔クアラルンプル事件が発生した時、時の総理大臣、福田赳夫が「人命は地球よりも重い」と、日本赤軍の要求を全面的に受け入れ、身代金を支払い、テロリストを釈放した。
いかにも日本的な対応だが、国際社会からは大顰蹙を買った事件だ。
欧米、特にアメリカ、イギリスは、絶対にテロリストに妥協しない。
解決策として、人質もろとも犯人を殺害してしまう手法も採用される。
実際に今回のフランステロ事件でも、強行突入時に人質に死者が出ている。
フランス当局は、テロリストが殺害したと発表しているが、実際には強行突入の際の出来事かもしれないし、テロリストが殺害してとしても、強行突入が切っ掛けとなった事は間違いない。
彼らの根底には、テロリストに妥協すると、寧ろ次のテロを誘引するとの考えがある。

今回の日本人二人の誘拐事件に関して、やはり日本ではイスラム国の要求を受諾するべきとの意見が出ている、
後藤健二さんの母親が「健二を救ってください」と言うのは、最初の記者会見の時点では「身代金を支払え」であり、現在ではヨルダンに収監されている女性死刑囚の釈放を求めているのと一緒だ。
それはやはり、今の人質の人命こそ最優先されるべきとの考えであり、将来のリスクをも警戒するアメリカや西欧諸国とは違いがある。

僕は、冷血と思われるかもしれないが、テロリストに拉致された時点で、「運が悪かった」と諦める事も必要だと思っている。
現代社会は、世界中の至る所で、考え方の違いを話し合いで解決できない厳しい環境となっている。
我々日本人が、戦争状態の当事者ではなくても、「日本人を捕まえればカネになる」となると、背景など無関係に誘拐、拉致される恐れが発生している。
この場合、不幸にしてそんな悲劇に見舞われるのは、誰の所為でもない。
将に運が悪いのだ。

例えば、交通事故に遭遇して一命を落とすこともある。
日本でも年間数千人が、交通事故で命を失っている。
この死者数は、車を禁止すればほぼゼロに近づくだろう。
しかし被害者も、その家族も、そんな非現実的な要求をする事はない。
運が悪かったとして、加害者との折衝をしたり、事故を減らすための努力をしているはずだ。
海外のテロも然りで、その危険があるなら海外に行かない選択肢もある。
しかし、やむを得ず海外に赴かざるを得ない場合、不運にもそんな事件に遭遇したら、本人が必死に生き延びる為、あるいは周囲は何としても助け出す為の努力は当たり前だが、どうにもならない事態になった時は、運が悪かったと諦める覚悟も必要だろう。

今回の事件を、自己責任論で片づける人も多い。
それに対する、批判もまた多い。
それぞれにその考えの理屈があり、どちらが正解かなんか分からない。
しかしリスクは厳然として存在し、それを完全に回避する手段はない。
国が、あるいは行政が、必ず自分を助けてくれるとは限らないし、寧ろそのような救いの手は、様々な理由で難しいのが現実なのだ。
であれば予め、各々が最悪の事態を覚悟しておくしかないだろう。