昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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「沈まぬ太陽」感想文の続編

前回感想文http://blogs.yahoo.co.jp/saraam_s/62447719.htmlの続編です!

この小説のハイライト部分が、JAL123便の墜落事故を扱った御巣鷹山篇だ。
何せ500人以上の乗客乗員が犠牲になった、航空史上最大にして最悪の事故で、僕の友人にもたまたま予約をキャンセルして助かった強運の人もいれば、逆にコネを利用してチケットを入手した為に、不運にも命を亡くした人も知っている。
当時から仕事で飛行機を使う機会が多かっただけに、他人事とは思えない事故だった。

小説では、日航の利益最優先の経営姿勢が、ボーイング社の修理ミスを見逃す結果となり、あれほどの大事故につながった事になっている。
主人公は、組合活動を通じて、日航に安全対策強化を訴え続けるが、経営者側はまるで聞く耳を持たない。
更に大事故を起こした後も、ひたすら会社側に都合の悪い事実を隠蔽しようとする。
被害者側への補償額も、何物にも代えられない人命を奪ったにも拘わらず、単に前例を参考にしたまるで事務的な交渉で早期解決を図る等、人間的配慮は皆無。
むしろ、被害者同士が連絡をとらないよう、分断工作すら行う。
ここでも主人公は、誠心誠意被害者に向き合い、当初は頑なな被害者からも信頼を勝ち得る。
しかしそれでも尚、日航の犯した罪の大きさを償う事は出来ないと、真摯に被害者に詫びる姿勢を貫く。
主人公は徹底的に正義であり、日航の経営陣はどこまでも卑劣だ。
日航の腐れ切った体質ここに極まれりで、僕も読んでいて義憤に駆られてしまった。

ところがこの小説に批判的な陣営からは、この部分にも「ちょっと待て」の声が掛かる。
実際に御巣鷹山に籠って、この主人公のようにひたすら被害者の為に働いた日航社員が存在するらしいが、誰よりも良心の塊の様な主人公が、心血を注いで被害者の為に働いた事実はないと指摘している。
しかし作者、山崎豊子は小説を面白くする為に、敢えて他の人物達の働き振りを、勝手に主人公、恩地元(小倉寛太郎)のモノに替えてしまったようだ。
小倉寛太郎氏自身が東大駒場祭の講演会で、「ナイロビ勤務は都合三回。小説では分かり難くなるので二回となっている」と説明している。
要は、この御巣鷹山事故の時は、ナイロビに勤務中だったとの事。

小説では労働運動への報復として、日航が主人公に前代未聞のアフリカ勤務まで強制した事になっている。
しかし実際の小倉氏はアフリカが大層気に入り、二回目は自ら志願して勤務したと言うから、小説全体の構造が怪しくなってくる。

また小説では日航が、小倉氏が「待遇改善の為だけに組合運動をしただけ」なのに、それをアカ呼ばわりして徹底的に弾圧したと繰り返し主張している。
しかし実際の小倉氏が「共産党の秘密党員だった」との指摘に対しては、全く答えを濁している。
小倉氏の履歴を見ると、学生運動だけでなく、日航入社前の保険会社でも激烈な組合運動を繰り返している。
日航の組合委員長就任後は、小説の中でも池田勇人総理大臣の帰国便に合わせたストを提案する筋金入りの労働運動家であり、小説にあるような単なる待遇改善を求める一社員ではない。

過激な要求に危機感を持った会社側と経団連が、露骨な組合の分断工作に乗り出した事が事態を更に混乱させたのは間違いない。
これは日航だけでなく、その少し前に「総資本と総労働の正面衝突」と日本を二分した三井三池炭鉱の争議と酷似している。
共産党に対して会社側が良いイメージを持っているはずはないが、しかしそもそも共産党員を「アカ」呼ばわりして差別するのは時代遅れだし、小倉氏が日航の組合で活躍した頃には、すでに死語になっていたはずだ。
小倉氏も共産党員ならば、堂々とそう名乗ればよかった。

確かに「沈まぬ太陽」は、小説としては面白い。
しかし主人公の肝心の部分は隠したり、やってもいない事を手柄にしてまで、常に正義の味方を演じ続ける事が、一見ノンフィクションを装うこの小説の価値を却って大きく毀損している。