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週刊朝日と佐野眞一のあまりに情けない醜態

腰砕けとはこのこと。
週刊朝日が掲載した「ハシシタ 奴の本性」は、掲載わずか一回で打ち切りとなった。
第一回目の記事で、今をときめく大阪市長橋下徹の父親の出身地や交友関係、近親者が自殺していると書きたて、抗議を受けても「第二回目も乞うご期待」と意気軒昂だったはずなのに、親会社の朝日新聞まで含めた取材拒否を受けると、一気にトーンダウン。
週刊朝日は、掲載打ち切りだけでなく、全面降伏の謝罪記事まで出した。
しばらく頬かむりを決め込んでいた作家の佐野眞一も、「不適切な表現があった」と坊主懺悔状態なので、この喧嘩、橋下の圧勝。

しかしそれにしても、週刊朝日も、親会社の朝日新聞も、あまりに情けなくありませんか。

僕は残念ながら、この週刊朝日の記事を読んではいない。
しかしタイトルが橋下徹が忌み嫌う「ハシシタ」呼ばわりしているだけでも、彼に批判的内容だろうと思われるし、またサブタイトルからも橋下の出自が被差別部落であり、それが彼の言動に大きな影響を与えているとの記事だろうと、容易に推測できる。
しかし今時の入社試験では、応募者の出身地や親の職業などは、絶対に聞いてはいけないタブーのトップに教えられる。
だから、こんな切り口で橋下を攻撃すれば、社会的な反響や反撃もまた凄まじいだろうことも、これまた容易に推測できる。

部落差別や朝鮮人への偏見はあってはならない事だが、人間の内面的意識の問題なので、簡単には解決できない。
だから役所を挙げて同和問題に取り組むが、実はこれが却って逆効果。
「差別するな」と言いながら、一種の特権階級を作り上げるのだから、結果として差別する側とされる側の間に、別のバリアを作ってしまう。
また利権が発生するので、いかがわしい輩が跳梁跋扈する事態となる。

それが現実なのだから、橋下の本性を暴くために同和問題を持ち出せば、途端に蜂の巣をつつくことになるのは明々白々だろう。
それでも週刊朝日佐野眞一は、連載に耐える題材としてハシシタバッシングを始めてしまった。
まさに今回の週刊朝日の記事は、現代の地雷原に足を踏み入れたものなのだ。
当代きってのノンフィクション作家と言われる佐野眞一や、良心的雑誌と見られていた週刊朝日ともあろうモノが、そのタブーを破るからには、当然用意周到な準備と信念があるに違いない。
橋下側からのいかなる文句にも、切り返すことができる材料が準備されているのだろう。
誰もがそう思い、喧嘩の成り行きを注目していたはずだ。

しかし今回の無残な敗北宣言を見ると、どうも週刊朝日は、単にセンセーショナルなタイトルで橋下を攻撃すれば、売上げが増える程度の問題意識しかなかったのではないだろうか。
また佐野眞一は、孫正義伝の二番煎じで、橋下徹の出自からの成り上がり物語を書けば、ノンフィクション作家としての地位が盤石になるとでも思ったのだろう。
しかし自らの出自を公表している孫正義と、「私の名前はハシシタではありません」と過去を封印している橋下徹では、佐野眞一の記事への許容度に天と地ほどの差がある。

そもそもこの記事の内容は「不適切な表現が複数あった」程度ではなく、記事全体が不適切なモノに違いない。
事ここに至れば、週刊朝日は政治家橋下に対して、二度の批判的記事を書くことはできない。
これでは、マスコミとしての責務を果たせるとは考えられない。
また佐野眞一は、今後どんな作品を発表しても、彼には歪んだ差別意識の視点があることが露呈された。
最早ノンフィクション作家としては、失格宣言を受けたも同然だ。
大見得を切った割には確たる信念もなく、打算と商魂だけで、超えてはいけない一線を越えた週刊朝日は当然ながら廃刊、作家の佐野眞一も絶筆するほどのペナルティを自らに課すべきだ。