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審判の誤審

日本シリーズ第二戦、7回裏、会楽天の二点目は明らかな審判の誤審から生まれた。
どう見ても、ヘッドスライディングのバッターランナーよりも、ボールは早く一塁手のミットに収まっていた。
しかし判定は「セーフ」。
二死後だったので、三塁ランナーはホームインして2対0。
その後巨人は一点差まで追い上げたのだから、結果的にはこの誤審が勝負を分けたことになる。

無論、一塁審判がこれをアウトと判定、1対0のままだったら、その後の展開はまるで違ったものになる。
楽天のエース、田中マー君は一点差のままだったら、更に眦を決して投げ続けただろうから、寺内如き格下選手がそんな彼からホームランを打てた保証はない。
歴史のイフと一緒で、「もしも誤審がなければ」と考えても仕方がない。
しかし素人野球評論家としては、どうしても誤審の影響を考えてしまう。

実は同じ日の夕方のサッカー中継でも、明らかな誤審があった。
浦和対柏戦で、浦和が2対1でリード。
終盤になって柏の怒涛の攻めを、浦和が必死に守る展開だったが、まさにゴール直前にまで責め上がった柏のフォワードがシュートを放つ直前、浦和ディフェンスの足が、柏の選手の利き足を引っ掛けた。
そのままバランスを崩して倒れこんだ柏フォワードは、すぐにペナルティを主張したが、審判は気づかず、そのままプレイ続行。
結果的には柏は同点にすることができないまま、浦和の勝ちとなった。
これもまた、柏がペナルティキックを得たとしても、果たして同点になったかどうかは神のみぞ知る領域だ。
しかし解説者が「これは….?」と疑問に持つほど明らかな誤審が、同点に追いつくチャンスを奪ったのは、歴然とした事実だ。

僕は、巨人ファンでも柏ファンでもないが、大事な試合が審判の誤審に左右されるのは釈然としない。
2010年6月、大リーグタイガースのガララーガ投手は、最後27人目のバッターを打ち取り完全試合達成のはずが、審判の世紀の大誤審でセーフになったケースがある。
後に審判自ら、自分の誤審を認め謝罪、投手も、「それもまたベースボール」と割り切った大人の対応をしたのがニュースになった。
しかしピッチャーにとって、完全試合なんてそうは簡単にできるものではない。
幸いにして僕は、そんな大それたことを仕出かす能力に恵まれていないので、完全試合とか、決勝点とかにはまるで無関係の男なのだが、もしも僕が当事者だったら、ガララーガのような泰然自若とした態度は絶対に無理。
荒れ狂い、審判を罵り続けるだろう。

誤審もまたゲームの一環と言われ、選手も機構も誤審を感受する雰囲気がある。
審判だって機械ではないのだから、間違いを犯す。
それを前提とした勝ち負けのやり取りなのだとの意見も強い。
しかし人生を賭け、生活を賭けて、命懸けの努力を繰り返している選手が、誤審で成果をフイにするのは、やはりなんとか対策を講じるべきだろう。

こんなことを防ぐためには、最も積極的に制度を変更していくアメリカンフットボールでは、オフィシャルレビューと称して、ビデオ判定を導入している。
大鵬の連勝記録が、明らかな誤審で止まってしまって以降、古色蒼然たる大相撲でも、物言いの時には、実はビデオで確認している。
テニスのインアウト判定も、最近では写真判定で決着をつけている。
あれは果たして正確なのかはわからないが、ボールの軌跡から落下地点を断定されると、世界的名選手も素直に従っているのが面白い。

サッカーのように、常に選手が動き回っているスポーツでは、写真判定のタイミングが難しいかもしれないが、それでも誤審対策、誤審をやらかした審判へのペナルティを強化するとかしないと、誤審そのものがいつまでも減らないような気がする。
科学技術が進んだ現代では、カメラを複数準備すれば、いい加減な人間の目よりも精度の上がった判定ができるはずだ。
尤もそうなってしまうと、監督や選手の猛抗議シーンもなくなるので、楽しさが半減するかもしれないが。