昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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徘徊老人のウォーキング日記

ウォーキングを初めて、三週間が経過した。
ゴルフに行く以外は、雨が降っても歩いているので、それなりに効果も出ている。
必ずしなければならない事がない暇な老人にとって、ウォーキングは自分に課した唯一のノルマだ。

最初は訳が分からないので、1時間のウォーキングを加えて一日1万歩を考えていた。
1時間ウォーキングの歩数は、7000歩ほど。
普通に生活していると2千歩以上は歩くので、これで大よそ1万歩の目標は達成できる。
歩くコースは試行錯誤。
様々に試しているうちに、近所の風景や街並みに新しい発見もあったが、慣れるに従い、歩き易さや途中のチェックポイントなどから、段々と決まったルートを辿るようになった。
そしてその定型ルートにちょっとアレンジを加える事で、ウォーキングの時間と歩数を増やしている。

わずか三週間の経験だが、歩いていると、何度も同じ人に遭遇して、何とも照れ臭い気持ちになる。
「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」は、松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭句だが、僕の場合は、前半は同じだが、後半は「行き交う人もまた老人なり」に変る。
似たような年頃で、かなり草臥れた人相風体の男女が、一心不乱に歩きまわっている。
無口でノロノソと進む様は、如何にも長生きしたい、健康でいたい魂胆が見え見えだ。
頭に帽子、手にタオル、腰にポシェット、ヘッドフォンステレオのファッションに身を包んだ同好の士がウロウロと農道を移動しているのを見ると、己が身を顧みて複雑な思いに駆られてしまう。

誠に不本意ながら、僕も傍目には、「長生きしたい症候群老人」と全く同じように見えているのではないだろうか。
  「僕は、貴方達とは違いますよ。」
  「貴方達は、単に健康と生にしがみ付いているだけでしょ。」
  「僕は歩く事で、自分の内面を鍛え、精神を高めようと思っているのです。」
  「見た目は同じような所作振舞いですが、求めている世界は皆さんとは雲泥の差があるのです。」
このような老人とすれ違うたびに、心中ひそかに独り善がりの理屈をこねているが、残念ながら誰にも理解されないだろうナァ。

近所では、「またあの人が歩いている」と、好奇の目に晒されているに違いない。
それでも折り返し地点で飲む水の美味さは、それなりに苦労した人間だけが味わうことが出来る醍醐味だ。
汗をたっぷり掻いて帰宅後朝風呂につかるのも、小原庄助さん張りの贅沢な気分だ。
本日の実績は、1時間15分かけての9800歩。
明日こそは、取り敢えずウォーキングだけで1万歩を走破するぞ!