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パリのテロ

イスラム過激派アルカイーダの指令で、パリの風刺週刊紙シャルリー・エブドが襲撃された。
ここで編集長や漫画家五名が犠牲になり、更に関連した人質事件も発生。
三人の犯人は射殺されたが、人質もまた四人が犠牲になった。
全く痛ましい事件だ。

この事件には、明確な原因がある。
それは、襲撃された週刊紙が、何度もイスラム教の預言者、ムハンムドを揶揄する記事を載せていたことだ。
この週刊紙が、ムハンムド批判の漫画を掲載していたことが、イスラム過激派の怒りを買ったと報道されている。
中にはかなり挑発的な記事もあり、何度もイスラム過激派から犯行予告を受けていたらしい。
週刊紙にとっては、言わばこうなることは覚悟の上の記事としか思えない。

僕は、イスラム教に詳しい訳ではないが、偶像崇拝を禁じていることくらいは知っている。
イスラム教徒たちにとって、ムハンムドの姿を描くことは、イスラムの教えへの攻撃と受け取り、その抗議の手段として週刊紙を襲撃したのは、事の善悪はともかくとして、神様に全てを捧げる信者の気持ちとしては已むに已まれない義憤に駆られた行動と推測している。
僕のように、信仰心の薄い人間にはなかなか信じられないが、世の中には、自分の信じている神様の為なら、その敵対分子を物理的に抹殺するような過激な行動に走る人間がかなりの数、存在しているからだ。

今回、事件が派生したフランス国内では、当然ながら「表現の自由を守れ」の声が湧きあがっている。
テレビインタビューでもフランス市民が、「イスラム過激派が反対意見をテロで封じたのは、表現の自由への挑戦で絶対に許されない」と力説していた。
しかし他人が、自分の命よりも大事にしている神様について、果たして表現の自由と称して攻撃する事は許されるのだろうか?

今回の被害者、週刊紙の編集長たちは、間違いなくイスラム教に対して好意を持っていない側だろう。
でなければ、イスラム教徒が神様と崇めているモノを、絶対に揶揄したりはしない。
今回の惨劇でも、繰り返しイスラムの神様を冒涜した人間に報復した犯人たちを、既にイスラム過激派の中では殉教者として扱っている。

日本では、ヘイトスピーチが法規制される。
このヘイトスピーチもまた、表現の自由との兼ね合いが難しい。
パリの週刊紙も、ヘイトスピーチを繰り返す団体も、その内容に差はない。
しかし多くの人は、ヘイトスピーチには反対しても、今回のパリの週刊紙は、理不尽なイスラム過激派に殺された可哀そうな被害者と見ている。
これは明らかな、ダブルスタンダードだ。

僕は、イスラム教徒が命懸けで守ろうとしている価値観に対して、自分たちと違うからと言って揶揄するのは、異教徒への思いやりにかけていると思っている。
しかしキリスト教にとっては、イスラム教は不倶戴天の敵なのかもしれない。
そうするとこの二大宗教間には、今後とも憎みあう敵対関係が続くような気がする。
「仲良く平和にやりましょう」などとしたり顔で説得しても、何一つ解決されないだろう。
神様が「汝の敵を殺せ」と命令するのは、その時点で神様失格と思う平和主義の僕には、キリストもアラーも理解不能の、遥かに遠い厄介な存在だ。