昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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落剝の身の処し方

その昔は絶世の美女だったとか、あるいは誰もが認める可愛かった女性が、老後に落剝の身を晒すと、見てはいけないモノを見てしまった罪悪感に苛まされる。

いしだあゆみ倍賞千恵子の二人は、それなりに功成り名を遂げた人たちなのに、ここまで容姿が朽ち果てるかと、余計なお世話ながら憐憫の情を覚えてしまう。
いしだあゆみは、余りに痩せこけてしまい、最早どんな服を着ても似合わない。
首の回りがシワだらけでカ細くなってしまい、洋服和服を問わず、首が抜けて骸骨のように見える。
倍賞千恵子は、「男はつらいよ」のさくらチャンのイメージが強く、若いころは輝くような魅力に溢れていた。
が、最近テレビの音楽番組で司会をしている時の歩き姿は、いわゆる婆さんの前屈みで、腰が曲がっていた。
さすがに芸能人で、厚化粧で必死に取り繕っているが、そんなモノでは隠しきれない衰えが透けて見えるのが哀れを誘う。

最近では、大竹しのぶも悲惨だ。
彼女は美人タイプでも可愛い方でもなかったが、ピチピチしていた時代はそれなりに魅力的だった。
あの明石家さんまと結婚したころは、トレンディドラマ(死語?)の常連さんだった。
それが今では、顔全体がシワだらけで、最早正視に堪えない。
まだ50台であれだから、10年後の惨状は察して余りある。

何故、あんな状態になっても尚、女優としての仕事をやり続けるのだろう。
取り巻きの中の誰かが、「オジョー様、潮時でございます」と、善意の注意をしないモノか?!
昔のファンの嬌声やカーテンコールが忘れられないのか、はたまた自己顕示欲が異常に強いのか?
面白くなくなった漫才師や喜劇役者も同じだが、視聴者に辛い思いをさせるのは本意ではないだろう。
原節子は巷間、自分のイメージを守る為に、全てのマスコミとの接触を絶ったと言われている。
いずれにしても、美人女優として名声を博した人には、そのイメージや晩節を汚して欲しくない。

一番大事だけど、結構難しいのは、今の自分の実力を正確に把握することだ。
特に一世を風靡した人ほど、引き際が難しい。
また技術や生き様に拘りを持つ人も、引退が早過ぎると社会的損失になるし、遅いと人に嫌われる。
周囲も、こんな人達の扱いには苦労する。
「もうお辞め下さい」と肩叩きするにも勇気と度胸がいるし、嫌われ役が不在で放っておくと、後輩たちの為にならない。

名声が大きいほど、それから離れるのに勇気がいる。
無論自分だって情けないほどに衰えているのだが、こっちは世間からの注目はゼロだし、そもそも例え落ちぶれても、そんなに大きなギャップになる訳でもない。
自らの潮時に大して悩まなくて済むのは、誰にも知られず、名声がない人間の特権だ。