昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

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歌手の音程が狂う時

最近は、オペラを聞いて時間を潰すことが多い。
 
そして思うのだが、人間こそが最大の楽器だ。
ピアノ弾き、バイオリニスト、トランペッター。
楽器に関しては様々な名手がいるが、己の喉だけで、微妙で細やかな音を楽器以上に正確に表現するオペラ歌手は、本当に凄い。
 聞くところでは、一流ともなると、日々の鍛錬は想像を絶するらしい。
鍛錬だけでなく、超人的な自己抑制が求められる。
そこまで自己を犠牲にしても尚、更に超一流と呼ばれる歌手は、その中でも超少数になる。
そんな彼ら、彼女らは、ある日突然、唯一の商売道具の声が出なくなる恐怖に怯えながら、世界中で演奏旅行を繰り返しているらしい。
 
そんな神様に選ばれたような天才達人たちを、聞く側の当方はまるでド素人のくせに、平然と批評、批判の対象にしてしまう。
その傲慢さ、傲岸不遜さは、超一流歌手から見れば、「オマエに何が分かる」と、ぶん殴りたくなるような代物だろう。
そんなド素人オペラ評論家を自負する僕だが、それでも無闇矢鱈と、歌手の悪口を言うわけではない。
一応は、聞いていて違和感を持った場合だけ、厳しく指摘している積りだ。
そう言うと、「オマエ如きに、天才歌手の出来不出来が分かるのか?」と反論されるだろう。
しかし、これが分かるのだ。
 
僕は、オペラはマスゲームに似ていると思う。
何がどうかを正確には知らなくても、音が外れると、それがどんなに些細な違いでも、聞いていると耳障りなのだ。
まるでマスゲームで、ほんのちょっとした乱れでも、遠くから見ていると気が付いてしまうのと同じだ。
今でも歌い続けられているオペラは、これもまた超天才作曲家によって、細部の細部まで完璧な音楽に仕立て上げられている。
演歌や歌謡曲は、アドリブを利かることが許されるので、失敗してもわかりにくいが、オペラの場合はほんのちょっとでもしくじると、途端に全体の調和が乱れてしまう。
だからどんな素人でも、「アレッ?」と首を傾げるのだ。
更に言えば、さすがに世界中が超一流と認めているような歌手ではほとんど見られないが、一流程度の歌手では、音を外すケースが決して少なくはない。
それほどオペラの歌は難しいし、歌手たちも、限界に近い歌唱力で勝負しているのだろう。
 
オペラの歌手たちは、有名なアリアを素晴らしく歌い上げると、万雷の拍手を浴びる。
いつまでも拍手が鳴りやまず、アンコールにこたえるのは、歌手にとって最大の名誉だ。
しかし、途中で音程を外したり、歌い出しで遅れたような失敗を仕出かした歌手は、アリアを歌い終わっても、観客からの拍手がまばらになる。
毎回が真剣勝負で、息抜きが許されない。
 
彼ら天才たちは、常人では考えられない努力と集中力によって、誰にも真似出来ないような歌唱力と名声を得た。
しかしそんな彼らに対してさえ、遠慮なく辛辣な酷評する思い上がった楽しみが、我々凡人ファンに最大の特権として与えられている。
オペラ歌手は、眞に因果な商売だ。