昔は平凡な企業戦士、今は辣腕頑固老人の日常!

日頃の思いや鬱憤を吐露!無礼千万なコメントは削除。

親子関係の考察

早朝ウォーキングをしていると、小中学校へ通う子供の集団に遭遇する。

小学生はランドセル、中学生はリュックサック。

大きくて重そうなカバンには、授業で使う学用品がいっぱいだ。

もう50年、半世紀以上も前の自分を思い出して、思わず「大変だなぁ、頑張れよ」と声を掛けたくなる

尤も最近の風潮は、ソンナ親切心を発揮しようものなら、とたんに不審人物扱いする。

実に味気ない世の中になったものだ。

 

最近はそんな殺風景な世相でいっぱいだが、急に冷え込んだ今朝、いつものルートを歩いていたら、実に微笑ましい光景に出くわした。

如何にも寒そうな玄関前に、防寒具に身を包んだ若い母親が立ちすくんでいる。

そしてはるか先に向かって、一所懸命に手を振っている。

その視線の先、直線にして150mほどの場所に、ランドセルを背負った子供がいる。

子供は度々後ろを振り返りながら、こちらもまた母親に向かって手を振る。

低学年の小学生のようだ。

親子の距離が少しずつ離れていく以外には、何の変化もない光景だが、親子の心の通い合いは充分に感じることができる。

子供がコーナーを曲がって完全に見えなくなるまで、母親は心配そうに、しかし幾分誇らし気に、子供に手を振り続けていた。

 

このころの子供って、無条件で可愛い。

親の言うことをよく聞くし、学校で起きたこともつぶさに報告する。

しかし歳を重ねるに従い小学校も高学年になると、ほとんど口を利かないし、部屋から出てこなくなる。

そして中学、高校となると、もう最悪。

まるではれ物に触るような、反抗期を迎えてしまう。

どこの家でも、誰でも、親子関係はいずれこんな顛末を迎える。

だからこんな仲の良い親子を見かけるとまことにお節介ながら、「楽しいのは今の内だけだよ」と、余計な一言を掛けたくなる。

 

実は我が家も、子育ては苦労した。

ちょっと大げさだが、それなりの本くらいは書ける気がするほどだ。

愚息どもが小さい頃は、「これは天才ダ」と親馬鹿丸出しだった。

しかし長ずるにつれ、それが勘違いだと気が付き、そのうちに何とか真面に生きてくれればと、どんどん目標が落ち込んでいった。

そんな息子たちだが、今では二人とも一応は社会人として働いているし、他人様には迷惑をかけていないようなので、親としての役目は終わったとホッとしている。

が、その心境に至るまでは、山あり谷ありだった。

しかしその過程を冷静に振り返れば、最初の十年間の親孝行とちょうどバランスしている。

僕は、子供は生まれて十年間で、全ての親孝行が終わると確信している。

その後は、親に心配をかけるばかりだ。

しかし親子関係でいえば、最初の十年間ですべて元が取れていると考えないといけない。

後にどんなに心配をしても、トータルはチャラ。

可愛くて仕方がなかったころを思い出し、親子関係は先憂後楽の逆、先楽後憂と肝に銘じるべきだ。

尤もそう割り切っていると、子供が社会人になり、家庭でも持つと「子をもって知る親の恩」で、また親孝行の真似事をしてくれる場合もある。

それは親にとっては子育てのオマケみたいなモノだが、親冥利に尽きるモノでもある。