僕は経験的に、これは間違っていると確信している。
偏差値が高く有名大学に合格した人は、頭のいい人の必要条件でもなく、また十分条件でもない。
単にこの意見で自己満足するのではなく、世間に広げたいと思い、先ずは仕事仲間たちに説教する。
・偏差値が高いの人は、受験テクニックに長けているに過ぎない。
・受験問題は、「正解が必ずあり、しかもその正解は一個しかない」ことを前提に出題される。
・だから隠れている答えを一つ発見すれば、すぐに次の問題に取り掛かることが出来る。
・仮に正解がなかったり、あるいは多数あったりすると、問題処理速度が極端に遅くなる。
・しかし実際に社会で我々が直面する問題の正解は、正解が必ず一個あるわけではない。
・必要な能力は、正解がなくても、多数あっても、これこそが正解と決める洞察力や決断力だ。
・実際に仕事の中で、偏差値は高かったはずなのに、まるで使い物にならない人を沢山見てきた。
と、こんなことを力み返って主張すると、たいていの場合、多くの賛同を得る。
特に最後の決め台詞は、「そうだ、そうだ」とヤンヤの喝さいが起こり、「そう言えば、あの人も」「イヤイヤ、あっちがもっとひどい」とか、先輩諸氏の品定めに花が咲く。
女性の場合はこんな話題は少ないかもしれないが、オトコドモにとっては、他人の悪口や月旦は一番のストレス発散の場だ。
現役の間はこんなことで管を巻いていたが、最近15年以上前に書いたある文章を思い出した。
それは「ブスは差別用語ではないらしい???」のタイトルだった。
要は、オンナドモは誰も自分のことをブスとは思っていないので、いくら「ブスは死ね」と罵倒されても馬耳東風。
むしろ「そうだ、そうだ」と、オトコと一緒になってブスを攻撃すらするものらしい。
と、オンナの独り善がりを疑問視し、呆れていたのだが、フト冷静に振り返れば、我々オトコ連中も似たものだと気が付いた。
先の「偏差値が高くても、仕事ができない人」を嘲るオトコドモと、全く同じ心理ではないか。
ほとんどのオトコは、自分が仕事ができないとは思ってもいない。
だから余裕を持って、他人の欠点をあげつらう。
そんな自分が他人にはどう見えているのかについては、超楽観的だ。
どうもこんな意見に拘っていたのは、、偏差値が低かった故のひがみ根性丸出しだった可能性が高い。
実は誰もが、自分には甘いが、他人には厳しい。
特に、不肖小生には、その傾向が強い。
ブスを攻撃するオンナを哂っていたが、自分も同じ穴の狢と分かるのに15年の月日を要しているのが、その一番の証拠だ。
少々遅きに失した感は強いが、今からでも未だ間に合う。
大いに反省しなければならない。