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小池百合子と中山成彬の終焉

小池百合子が、「希望の党」党首を辞任した。
衆議院選挙でも希望の党は惨敗したにも拘らず、「創業者として責任がある」と居座り宣言をしていたが、二日前の日曜日に行われた葛飾区議選では、実質的に小池百合子がトップのはずの「都民ファースト」は、五人中四人が落選する大惨敗を喫して万事休す。
民進党出身の玉木雄一郎が、希望の党共同代表に就任した直後に、泥船から逃げ出すように党首を辞任したのだから、「責任逃れ」の批判は免れない。
 
アンケート調査では、小池百合子については「都政に専念してほしい」との意見が八割近くある。
しかしそれもまた、小池百合子を過大評価している。
東京都政では、豊洲移転問題が完全に座礁し、東京オリンピック準備も滞っている。
そもそも何ら具体的は方策もないまま、思い付きや大向こうに受けそうな政策を羅列し、人気を博してきた小池百合子なので、一旦化けの皮が剥がれると脆い。
このままでは、肝心の都政も中途で投げ出すかもしれない。
それほど政治家、小池百合子は追い詰められている
 
小池百合子は一時的にせよ、80%以上の支持率があった。
都民ファーストはほとんど素人候補者ばかりなのに、「小池都知事と共に」と演説するだけで50人以上の都議を当選させ、何と都議会第一党に躍り出た。
小池百合子が、我が世の春を謳歌した時だ。
調子に乗った小池百合子は、一気に国政に打って出る。
分不相応にも、自民党を打破し、自らが総理大臣になる夢を見た。
その頃の小池百合子人気にあやかり、若狭勝が立ち上げた政治塾だけでなく、民進党からは全員が希望の党からの出馬を画策している。
 
そんな中に、政党「日本のこころ」の党首をしていた中山恭子と、その亭主の中山成彬がいる。
この二人は、保守色の強い政治家として、それなりの存在感を発揮していた。
特に中山恭子は、北朝鮮による拉致被害者からは大いに信頼されてきた政治家だ。
そんな二人だが、次の衆議院選挙では、亭主の中山成彬の当選が覚束無い。
そこで夫婦して、当時人気絶頂だった小池百合子にすり寄った。
実際に中山成彬は、九州地区比例区の名簿順位一位となり、左うちわで衆議院議員の立場を維持できたのだから、中山夫婦の思惑通り、読みがズバリと当たったとも言える。
しかし好事魔多しで、選挙結果で希望の党惨敗となった途端、党内で小池百合子のお友達優遇政策が非難され始めた。
民進党からの合流組とはまるで肌合いが違う中山夫婦に対しても、一気に同僚たちの視線は厳しくなってきた。
 
中山成彬も、希望の党設立当初は、それなりに保守派としての気骨を示していた。
「小池代表に、辻元清美のような左派政治家は排除するように進言した」とか、「安倍首相を変える必要はない」とか、あたかも自分が小池百合子のブレーンのような発言をしていた。
しかし小池百合子にとっての中山夫婦は、現役国会議員として頭数を揃える意味以上の存在価値はない。
中山成彬の思い上がりに対して、小池百合子からは厳しい叱責が飛んだに違いない。
選挙戦後半になると、中山成彬はそれまでの主張を180度変え、「安倍首相は退陣を」などと言い出した。
ネット社会での中山成彬は、情けないほどの変節ぶりを揶揄され、「晩節を汚した政治家」と烙印を押されてしまった。
 
その中山夫婦にとって唯一の後ろ盾だった小池百合子が、希望の党党首を辞任する。
中山夫婦にとって、今からの玉木雄一郎代表の希望の党の体制は、針の筵になる。
早晩追放されるか、あるいはかすかに残った矜持から、自ら離党することになるだろう。
しかも恐らくは、次の選挙で中山夫婦を拾ってくれる政党などどこにもない。
中山夫婦は主義真情よりも、政治家であり続ける道を選んだ。
しかしその結果、首尾よく衆議院議員であり続けることは出来たが、それまで培ってきた信用の全てを失った。
自業自得とは言え、政治家の最期としては醜い。